調査と同定の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 14:53 UTC 版)
ポル=バジンの存在は18世紀から知られており、1891年に初めて調査された。1957年から1963年にかけてロシアの考古学者 S.I. ヴァインシュテイン はこの遺跡の何箇所かで発掘を行った。2007年から2008年にかけてポル=バジン城址協会 (Fortress Por-Bajin Foundation) によって大規模なフィールドワークが実施され、それにはロシア科学アカデミー、ロシア国立東洋美術館、モスクワ大学の学者たちも参加した。 19世紀末以降ポル=バジンは、その場所、発掘された遺物の年代、回鶻の首都だったカラバルガスンの王宮施設との類似性から、ウイグルに関連する遺跡と考えられている。ヴァインシュテインはポル=バジンについて「セレンガ石に刻まれた碑文によると、この王宮は葛勒可汗が750年に原住民との戦いに勝利したのち建てられた」と記している。葛勒可汗は回鶻の主として唐の内乱鎮圧に関与し、その皇女を娶った。ポル=バジンは、辺境の城砦、僧院、儀礼の場、天体観測所としても使われたと考えられている。これらについては、2008年のフィールドワークの報告が出される以前にも文献で記されている。
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