葛勒可汗(英武威遠毘伽可汗)の碑文と遺跡
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葛勒可汗はいくつかの碑文を建てたが、現在までにそのうちの3つが発見されている。 『テス碑文』 『タリアト碑文』 『シネ・ウス碑文』 これらはいずれも発見地の名をとって名付けられている。この中での葛勒可汗は「テングリデ・ボルミシュ・イル・イトミシュ・ビルゲ・カガン(Täŋridä bolmiš il itmiš bilgä qaγan)」すなわち“天より授かりし国を建てたる賢明なるカガン”と書かれている。 また、葛勒可汗はその在位中にソグド人と中国人のためにバイ・バリク(富貴城)と呼ばれる都城を築いており、現在はモンゴル国ボルガン県ホタグ・ウンドゥルの郊外、セレンゲ川から北へ2キロの地点にある。葛勒可汗はこのほかにもオルホン川流域の平原に宮殿を建設したとされる。
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