8世紀のヤマト王権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
8世紀は異常に多くの反乱やクーデターが発生しており、ヤマト王権は政権が安定していない。 神亀6年(729年)長屋王の変(長屋王を藤原氏が暗殺した事件) 天平12年(740年)藤原広嗣の乱(藤原四兄弟が天然痘の流行によって全滅。鈴鹿王、橘諸兄が台頭し、失脚した藤原広嗣は大宰府において反乱を起し討伐された。) 天平勝宝9年(757年)橘奈良麻呂の乱(孝謙天皇が藤原仲麻呂を利用して橘諸兄の子奈良麻呂等443人を粛清。) 天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱(孝謙上皇・道鏡が邪魔になった藤原仲麻呂を粛清しようとした。仲麻呂は軍事力をもって対抗しようとしたが失敗。) 神護景雲3年(769年)宇佐八幡宮神託事件(称徳天皇(孝謙天皇)は宇佐八幡宮の託宣により道鏡に皇位を継がせようとしたが、和気清麻呂の妨害で失敗。) 神護景雲4年(770年)称徳天皇暗殺により天武朝が断絶、藤原氏は天智天皇の末裔(光仁天皇)を天皇に擁立した。 天応元年(781年)氷上川継の乱(天武天皇の曾孫が計画したクーデタ未遂事件。)
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