ティワナク文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 14:44 UTC 版)
詳細は「ティワナク文化[要リンク修正]」および「es:Cultura tiahuanaco」を参照 この文化の起源は、紀元前にまでさかのぼるとされるがまだはっきりとはわかっていない。ティワナク独自の文化が形成されてくるのは、紀元前1-2世紀ころからであるが、その文化が広範囲に広がり始めるのは紀元後400年頃からである。その最盛期は、おおよそ750年-800年ころから1000年前後-1100年頃で、その頃になると、北はペルー領のチチカカ湖北岸や現在のモケグア県、南はチリのサン・ペドロ・デ・アタカマやアルゼンチン北部、東は現在のボリビアのコチャバンバ地方にまで影響が及んだとされている。これらの地方のいくつかにはティワナクの飛び地があったとされており、特にモケグアにはティワナク様式の土器やテラス状構造の基壇からなり、方形の半地下式広場を持つ建造物が存在する。 ただし、近年、研究者の間で、ティワナク(場合によっては、いくつかのアンデスの先スペイン期社会も含まれる)は旧大陸のいくつかの帝国とは異なり、中央集権的官僚的な権力によって広大な領域を、面的に、恒常的に支配するような性格をもった社会ではなかったという見方が提示されている。この傾向は、特にここ数年、現地ボリビアの研究者の間で唱えられることが多い。 領域に関して考古学的に確実にいえるのは、あくまでティワナクからの移民が想定される飛び地(モケグア)の存在と、ティワナク関連遺物の分布が中央-南アンデスにおいて幅広く確認されている、という2点のみである。 よって、右のような版図を描くティワナクの面的な領域図は、今後書き直される可能性が高まっている。このような領域的模式図を書くのは、得てしてアメリカ人研究者に多く見られることも指摘しておく。
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