ティロール伯の台頭とは? わかりやすく解説

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ティロール伯の台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 06:30 UTC 版)

ティローロ」の記事における「ティロール伯の台頭」の解説

1027年神聖ローマ皇帝コンラート2世は、トレント司教ウダルリコ2世(Udalrico II)に、ボルツァーノを含むヴァッレ・デッラディジェ(アディジェ谷) (Valle dell'Adige) の統治権与えた以後この地方おおむね現在のトレント県ボルツァーノ県ベッルーノ県一部からインスブルックまでの一帯)は皇帝保証のもと教会領、すなわちトレント大司教領 (it:Principato vescovile di Trento) 、ボルツァーノブレッサノーネ司教領 (it:Diocesi di Bolzano-Bressanone) として統治されることとなった神聖ローマ皇帝は、伝統的にローマでローマ教皇から戴冠されるものと考えられており、アルプス安全な通行求められのである実際、両司教さまざまな圧力にもかかわらず帝国に対して忠実であったその後世紀をかけて両司教世俗権力低下し、代わって新たな勢力がこの地方台頭することになった1140年頃、ヴィンシュガウ(ヴァル・ヴェノスタ (it:Val Venosta) )の侯爵がはじめてティロール伯(Grafen von Tirol)の称号名乗った考えられている。その末裔は、ティロール城に拠点を置き、ティロール家名とした。 13世紀ティロール伯の一族は、トレント司教から(おそらくはブレッサノーネ司教からも)代官任命され領地支配ゆだねられていたが、やがては司教たちの領主権侵奪するようになったティロール伯 (it:Conti del Tirolo) の地位は、13世紀半ばティロール家のアルベルト3世から娘婿ゲルツマインハルト1世 (it:Mainardo I di Tirolo-Gorizia) に移りマインハルト1世ティロールゲルツとなった(この家系ゲルツ伯家マインハルト家と呼ばれる)。 マインハルト1世の子マインハルト2世は、ケルンテンにまで領土押し広げた。歴史的なティロール地方」(現在のトレント県ボルツァーノ県オーストリア領のチロル州にまたがる地域)という名称は、この時代成立したそれまでこの地方Land im Gebirge あるい Land der Gebirge(「山岳の地」)と総称されていたこの地方は、1248年文献で dominium comitis Tyrolis、すなわち「ティロール伯の領域」の名で呼ばれることになったのであるダンテ『神曲』14世紀初頭成立)にも、ティロール地方は "Tiralli" として言及されており("Suso in Italia bella giace un laco, a piè de l'Alpe che serra Lamagna sovra Tiralli, c'ha nome Benaco"(地獄篇 XX, 61-63))、ドイツとイタリアの間にある広大な領域してみなされている。

※この「ティロール伯の台頭」の解説は、「ティローロ」の解説の一部です。
「ティロール伯の台頭」を含む「ティローロ」の記事については、「ティローロ」の概要を参照ください。

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