軍政 (行政)
軍政または軍事行政(ぐんせい、ぐんじぎょうせい、英: military administration)は、軍事組織を管理運営するための行政活動を指す。
概要
一般に行政とは公的な事業の遂行を管理する活動であるが、これは軍事的領域においても重要な活動である。軍事行政の概念は部隊を運営する際に発生する人事管理や会計業務などの業務を管理する行政活動から安全保障政策の実施にあたっての政府と軍隊の関係を調整することまでを総括している。何れにおいても、作戦部隊の運用が可能となるように準備する活動ではあるが、軍事力の直接的な使用に関わる軍令の機能を含まない。しかし現実には軍政と軍令を明確に分けることは不可能であり、不明確な領域が広範に生じる。戦前の日本においても陸軍省と参謀本部の間で、権限の奪い合い、責任の押し付け合いが頻発した。具体的な軍事行政の問題としては教育計画、軍事費の会計、装備調達、人事管理、軍事基地の管理や民事などの業務があり、軍令の機能である戦略、戦術、兵站を含む軍事の組織、管理、行動に際して影響を及ぼしている。
人事管理は戦時においても平時においても全ての部隊で行われている軍事行政であり、人員の採用、選抜、評価、配属、記録などを行う。さらに部隊の規律を保持し、軍法を執行し、退職者の管理をする業務もここに含まれる。さらに軍事行政では教育や訓練に関する業務も管理し、個々人や部隊に対する軍事教育と軍事訓練の計画立案と実施評価がなされる。また陸海空軍に対して共通して実施される医療支援や法務支援も軍事行政の管轄として扱われる。民事は諸外国の軍隊や活動する地域に居住する住民に対する非軍事的な活動を指しており、広報活動や地方自治体などとの交渉がこれに該当する。
参考文献
- U.S. Department of the Army. Headquarters. FM 101-10: Staff officers' field manual: Organizational, technical, and logistical date. Washington, D.C.: Government Printing Office. 1953.
- U.S. Department of the Army. Headquarters. FM 100-5: Operations. Washington, D.C.: Government Printing Office. 1977.
関連項目
軍事、行政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 01:24 UTC 版)
「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の記事における「軍事、行政」の解説
国王軍を弓を武器とする軽騎兵と重武装の兵士で構成しようという試みがなされ、騎兵隊はモンゴルの撤退後に再びハンガリーが受け入れたクマン人や従前から辺境防衛を担当していたセーケイ人などで編成された。西欧の騎士をモデルとした重武装の兵士を生み出すため、王国北部の王領に新興の小領主層を創設し、彼らに兵力の供給を求めた。 同時に植民政策も進められ、都市の自治特権の承認や農村地帯の入植者への付与が行われる。空白地ではドイツ人、ルーマニア人、ルテニア人の入植が進められ、彼らには「客人」としての特権が付与された。分散した所領を一つにまとめようとする大貴族たちも植民に熱心であり、広大化した領地に移住した領民に一定の権利と自由を付与した。中小貴族のもとで悪条件に置かれていた領民たちは王領や大貴族の領地に移り、農民の地位の向上につながった。 都市民の自治とともに、大貴族への対抗策として小領主の権利が認められ、モンゴル侵入に際してハンガリー国外に移動したクマン人とヤース人が再び呼び戻された。ドナウ・ティサ川間の地域がクマン人の居住区に定められ、王室とクマン人の結びつきを強化するために王子イシュトヴァーンとクマン人族長の娘との婚姻が成立した。 改革の結果、県の統治は貴族に委ねられ、各県から中央の立法議会に代表が送られるようになった。改革は荒廃した国土の復興においては一定の成功を収めたが、従来の家産制的支配に代わる新しい支配体制の導入には至らなかった。また、貴族の政界への進出、ハンガリー人とクマン人の対立といった問題も残る。
※この「軍事、行政」の解説は、「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の解説の一部です。
「軍事、行政」を含む「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の記事については、「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の概要を参照ください。
- 軍事・行政のページへのリンク