制度の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 22:54 UTC 版)
朝廷が班田制と戸籍制度を基礎にした人民の人別支配を放棄し、名田経営を請け負う田堵負名を通じた間接支配への移行により律令制が解体していく過程で、この身分制も次第に有名無実化した。良賤間の通婚も次第に黙認されるようになり、中には賤民と結婚して租税を免れようとする者も現れた。789年には良賤間の通婚でできた子は良民とされる事になり、907年には奴婢制度が廃止された(これには、9世紀末の寛平年間に既に廃止されていたとする見解も存在する)。 よって、古代の賤民と中世以降の被差別民、さらに近代以降被差別部落と呼ばれるようになった江戸時代の被差別民共同体との歴史的連続性はなく、性質の異なる起源を有したと考えられる。
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