網元制度の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 15:30 UTC 版)
幕末期の社会の混乱は漁業の世界にも及び、網子や網付商人による網元への反抗の動きも現れた。これに対して、網元は周辺の網元と連携して網子への漁獲物・給金の配分を共同で抑制し、網付商人に対する監督を強化することで彼らを抑圧しようとした。 しかし、明治維新による変動には網元たちも少なからず巻き込まれていき、九十九里浜の地引網などのように網元制度自体の没落に至った地域もあった。ところが、明治政府の漁業法制は「旧慣温存」を基本としたこともあり、一部地主・資本家への転身を図った網元は例外として、網元制度は船頭制度も歩合制度も近代漁業において重要な地位を占めた。また、旧来の営業・移動の禁止による網子や網付商人の拘束は困難になったものの、明治以来の人口の過剰傾向が網元による低賃金労働・身分的支配要素の再編・維持を可能とした。 しかし、戦後になると漁業に対しても労働法制が適用され、漁業権にも近代的な改革が行われた。更に技術革新によって魚群探知機や安価な合成繊維製魚網が登場すると、網元制の前提となる集団での漁業自体が行われなくなった。このため、網元は長年の特権を喪失し、漁業協同組合などに取って代わられて姿を消すことになった。
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