制度の推移と官民隠蔽による無関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 13:34 UTC 版)
「第五種補給品」の記事における「制度の推移と官民隠蔽による無関心」の解説
李承晩大統領は1948年に韓国では公娼(妓生や売春)を禁じる法律を制定したが、1950年の朝鮮戦争開始以後から兵士の戦意維持のために補給品として支給を許可していた。 韓国政府は休戦後から2004年9月22日までに議政府や東豆川、安亭里などの在韓米軍基地周辺に性売買許可区域し、洋公主(韓国国民からの蔑称)、正式名称:慰安婦を固定配置して売春させる制度を変化させ、管理していた。基地村の慰安婦らは毎月、各基地村の属する地方自治体が主催の集会への出席を義務付けられていた。この場で職員は「慰安婦はドルを稼ぐ愛国者」と褒め、「米兵に対してさらに素晴らしいサービスをするよう」求めた。だが、基地村の規模拡大と共に、性病の蔓延は次第に深刻な問題になっていったために米軍がら改善要求が出た。1970年代初頭はアメリカはアジア全域での軍縮宣言した直後であり、在韓米軍の削減・撤退を恐れる韓国側は基地村における性病管理の厳格化を行った。これが基地村で働く女性たちの性感染症管理を主目的とする「基地村浄化対策」事業である。韓国政府は即座に性病疑惑のある基地村の慰安婦女性らを専用の収容施設に連行した。検査で陽性が出た場合、収容所に監禁した。その際に注射されるペニシリンの過剰投与によるアナフィラキシーショックで死亡する者もいた。元米軍慰安婦・金ジョンジャは、韓国のハンギョレの取材に、「基地村の女性は収容所を“丘の上の白い家”と呼んでいた。基地村慰安婦収容所の窓には鉄格子がされ、まるで刑務所だったと暴露している。韓国の基地村慰安婦は親に暴力を受けて家出後に稼げると友人に騙されて借金を負わされて抱え主(韓国人中年女性)に人身売買されたり、ソウル駅周辺の職業紹介所で人身売買されたケースも含めて、抱え主による見張り男女や警察や役所などが協力して監視されていた。韓国政府は官民協力することで大半は小学校も満足に修了してない基地村の韓国人女性らを逃亡には死ぬほどの制裁を加えることで一人辺り約30年間ほど働かせた。半世紀以上も計約30万人以上もの韓国人女性に対して、在韓米軍撤収阻止という目的のために月に1度公務員も「ドルを稼ぐ愛国者」として奨励させるなど基地周辺に基地村を設置して接客行為または売買春営業に対して幇助していた。元基地村女性(慰安婦)曰く、1990年代半ばの45歳近くまで基地村で売春させられていて、性病に疑われると約二週間も「落検者」として警察に東豆川市逍遥山にある刑務所のような落検者収容所という施設にある5人入りの檻に入れられることを基地村の慰安婦らは「討伐される」と呼んで恐れていた。インタビューに答えた元基地村慰安婦女性は25歳の時に逃亡したが、抱え主側に協力する韓国警察、基地村から逃亡した女性の身柄を引き渡したり、就職のために必須の住民登録証を管理する役所を含む公務員らの存在から、抱え主のおばさんのもとに諦めて戻ったことでリンチを受けている。1966年の大韓民国大法院の判決文で「慰安婦」とは、「一般的に日常用語において、売春行為をしている女性」と定義されていた。韓国政府記録と地方条例などでも基地村の女性たちのことを1990年まで慰安婦と呼称してきた。ハンギョレによると韓国社会で慰安婦という用語の呼称変更理由が1990年代初期の朝日新聞による慰安婦報道が日韓間で騒動になったことで、韓国の政府・言論・マスコミなど官民一帯で韓米間への波及を防ぐために「基地村女性」と呼称を変えて慰安婦と彼女らを呼ばなくなったからだった。慰安婦抱え主だった韓国人らは慰安婦として韓国人女性が稼いだお金で家と土地も買うなど裕福に過ごして、 ある抱え主は後に京畿道で議員になったことが明らかになっている。韓国政府による慰安婦被害者に対して韓国政府は目を瞑って、なぜ責任を負う人はいないのかと基地村で売春させられていた女性らは批判している 。
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