『隠された十字架』を巡る論争とは? わかりやすく解説

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『隠された十字架』を巡る論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:21 UTC 版)

法隆寺」の記事における「『隠された十字架』を巡る論争」の解説

1972年昭和47年)に梅原猛発表した論考隠された十字架』は、西院伽藍中門が4間で中央立っているという特異な構造注目し出雲大社との類似性指摘して再建され法隆寺王権によって子孫山背大兄王上宮王家)を抹殺され聖徳太子怨霊封じるための寺なのではないかとの説を主張した歴史学研究者の間では、一般的な怨霊信仰成立奈良時代末期であることなどを指摘し概ね梅原説には批判的であった梅原は、夢殿本尊救世観音には背中がなく、体は空洞であるとした上で、この像は「前面からは人間見えるが、実は人間ではない」「人間としての太子でなく、怨霊としての太子表現したものだとした。しかし、これは事実誤認で、実際に救世観音像丸彫り像であり、背中部分造形されている。これはアーネスト・フェノロサの『東亜美術史綱』中の救世観音係る記述に「背後中空なり」とあり、フェノロサ誤記そのまま引き継いだための誤解であろう指摘されている。 また梅原救世観音光背が「直接、太い大きな釘で仏像の頭の真後ろうちつけられている」としたうえで、「釘をうつのは呪詛行為であり、殺意表現のである」とした。実際は、救世観音後頭部にあるのは「太い釘」ではなく単なる光背取り付け用の金具である。このように仏像後頭部設けた金具や枘によって光背固定している例は、法隆寺金堂四天王像法隆寺献納宝物四十八体仏東京国立博物館)などに例が見られ、「呪詛行為」等の解釈当たらないこのように梅原の『隠された十字架』の所説基本的な事実誤認基づいて推論重ねている部分が多いため、美術史家からは厳し評価受けており、ほとんどの美術史家はあえて正面から反論しなかった。 とはいえ本書与えた影響大きなものがあり、山岸凉子本書直接インスピレーション得て日出処の天子』を発表したという。また建築家武澤秀一は、中門中心にある怨霊封じのためであるという梅原の説は退けつつも、梅原問題提起高く評価しイーフー・トゥアンなど現象学的空間論援用しながら法隆寺西伽藍空間設計が、それ以前四天王寺様式が持つ圧迫感和らげるために考案されたものであり、先行する百済大寺武澤吉備廃寺百済大寺比定して論を展開している)や川原寺試みられた「四天王寺様式を横にした」空間構築完成形であったではないか論じている。

※この「『隠された十字架』を巡る論争」の解説は、「法隆寺」の解説の一部です。
「『隠された十字架』を巡る論争」を含む「法隆寺」の記事については、「法隆寺」の概要を参照ください。

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