『集史』と著作活動とは? わかりやすく解説

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『集史』と著作活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 10:06 UTC 版)

ラシードゥッディーン」の記事における「『集史』と著作活動」の解説

1301年に、ガザン特命によってモンゴル史の編纂命じられた。これはガザン在世中に完成せず、次代オルジェイトゥ時に幸福なガザン歴史』として献呈され、オルジェイトゥの命によってさらにこの「モンゴル史」の部分第1巻とし、古代アラブ中国インドヨーロッパフランク)などの「世界史」の部分第2巻として集成した、増補改定版を新たに編纂するよう命じられ1314年完成した。これが歴史書集史』である。この歴史編事業は、ガザン改革大きなのひとつであり、アバカ没後長らく続いた内紛によって解体し掛かっていたイルハン朝領内モンゴル王族モンゴル諸部族系譜再認識と、内戦打ち勝った政権正統性主張志向したものであったと現在考えられている。ラシードが『集史』で述べところによると、ガザン自身から直接チンギス・カン家の王統について口述し大元朝からの使者として派遣されゲイハトゥ以来イルハン朝仕えようになったプーラード・チンサンから東方諸王家動静について、モンゴル諸部族伝承について古老などから、インドなどについてはカシュミール出身仏教僧などから、また王家宝庫秘蔵されていたチンギス・カン家の歴史書「アルタン・デプテル(黄金の秘冊)」の閲覧許可され編集用いたという。 ラシード上記のプーラード・チンサンらによってもたらされた、13世紀前半モンゴル帝国治下華北編纂された『王叔和脈訣』や『銅人』などの中国医学書を研究し、『タンスーク・ナーマ』(珍宝の書)としてまとめた他、同じくクビライの治世編纂された『農桑輯要』にもとづいて農書なども著している。さらにユダヤ系家系出身であったために政敵アリー・シャーらからの「偽ムスリム」などの中傷対抗して自身専門では無かったものの、アシュアリー神学派やシャーフィイー法学派見解基づいた神学書著し後援していたタブリーズ高位ウラマーたちから連署し認可イジャーザ)を取り付けるなど、政争対抗するための著作出している。 『集史』の編纂傍らラシードガザンタブリーズ郊外建設した広大な地区ガーザーニーヤにならって、自らの名を冠したラシード区」の建設進め、その維持運営のために大規模なワクフ財産寄進行ったラシード区では『集史』や『タンスーク・ナーマ』をはじめ神学書など一連の著作を『ラシード著作集』としてまとめ、これらをワクフ対象物件として設定し、これの計画的な写本製作をラシード区で行わせモンゴル帝国各地送付するなど実施していた。特に『集史』はアラビア語版も作成されたため、マムルーク朝など非ペルシア語圏でも広く読まれることとなった

※この「『集史』と著作活動」の解説は、「ラシードゥッディーン」の解説の一部です。
「『集史』と著作活動」を含む「ラシードゥッディーン」の記事については、「ラシードゥッディーン」の概要を参照ください。

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