『集史』における記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 16:48 UTC 版)
「ボルテ・チノ」の記事における「『集史』における記述」の解説
フレグ・ウルスにおいてラシードゥッディーンによって編纂された史書、『集史』も『元朝秘史』と同じようなボルテ・チノにまつわる伝承を記録しているが、『元朝秘史』の伝える伝承と異なる点も存在する。両者の最も大きな相違点は、『集史』がボルテ・チノをモンゴル部最初の始祖とせず、それより以前の「ネクズとキヤン」に纏わる伝承をからモンゴル族の起源を説明している所にある。 「ネクズ・キヤン伝承」は「ボルテ・チノ伝承」と「男女が遠方よりブルカン・カルドゥンを訪れ、その子孫がモンゴル部族の始祖となった」とする点で共通しており、同じ始祖伝承から派生した逸話ではないかと考えられている。 なお、ネクズとキヤンとはモンゴル部に属する氏族集団の名称でもあり、12世紀末にモンゴル部で最も有力な集団こそがキヤト氏と、ネクズ氏から派生したタイチウト氏であった。ネクズ氏はチノス(狼)氏という別名も有しており、モンゴル部の始祖とされるBörte čino=NekuzとQo'ai maral=qiyanとは、12世紀末の有力集団タイチウト氏とキヤト氏の族霊(オンゴン)、すなわち狼と鹿をモチーフとするものではないかと推測されている。
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