『隋書』や『北史』における記述
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「竹斯国」の記事における「『隋書』や『北史』における記述」の解説
『隋書』明年 上遣文林郎裴清使於俀國 度百濟 行至竹㠀 南望聃羅國 經都斯麻國 迥在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。 『北史』明年 上遣文林郎裴世清使倭國 度百濟 行至竹島 南望耽羅國 經都斯麻國 迥在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷洲 疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。 隋からの使節が経た行路が記述されている。百済→竹島(20世紀後半以降、日韓両国で帰属を争っている島ではない)→対馬→壱岐とへて、「竹斯国」に到着したことになっている。そこから以東は倭国の領域だという。なお、『隋書』に裴清とあり、『北史』に裴世清とあるのは、『隋書』が避諱したのだという。
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