『隋書』と『北史』の記述の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/01 07:30 UTC 版)
「女国」の記事における「『隋書』と『北史』の記述の概要」の解説
女国は、葱嶺の南にあった。その国は代々女を王とし、姓を蘇毗、字を末羯といい、在位は20年であった。女王の夫を号して金聚といい、政治をとらなかった。国内の男たちは、ただ征伐のみを仕事とした。山上に城を築き、周囲の五六里に家を密集させた。王は9層の楼閣にあり、侍女は数百人、5日に1回朝政をきいた。また小女王があってともに国政をみた。その風俗は婦人が男性を軽んじた。男女は顔面を彩色し、1日に数度改めた。狩猟を生業とし、鉱石・朱砂・麝香・牛・馬などを産し、岩塩をインドと交易して多大な利益を上げた。女王が死ぬと、死者の一族中の賢女ふたりを選んで、一を女王とし、次を小王とした。貴人が死ぬと、皮を剥いで、金屑と骨肉を瓶の中に置いて埋めた。1年経つと、その皮を鉄器に入れてまた埋めた。阿修羅神や樹神をあがめ、年初の祭りにはサル(獼猴)を用いた。祭りが終わると、雌雉のような鳥の腹を割いて豊年を占った。隋の開皇六年(586年)、使者を派遣して隋に朝貢したが、以後は途絶えた。
※この「『隋書』と『北史』の記述の概要」の解説は、「女国」の解説の一部です。
「『隋書』と『北史』の記述の概要」を含む「女国」の記事については、「女国」の概要を参照ください。
- 『隋書』と『北史』の記述の概要のページへのリンク