救世観音像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)
木造観音菩薩立像(救世観音)として国宝に指定。飛鳥時代。夢殿内部中央の厨子内に安置される。秘仏で、毎年春と秋に開扉される(開扉期間は2015年の例で4月11日 - 5月18日、10月22日 - 11月22日)。「救世観音」(くせかんのん)と通称される。「救世」は寺では「くせ」と読んでいるが、文献では「くぜ」「ぐぜ」と読む場合もある。作風から飛鳥時代前期の作とみられるが、夢殿の建立(738年頃)以前、本像がどこにあったのかは不明である。長年秘仏であったため保存状態はよい。像高は179.9センチ。本体、台座、光背ともにクスノキ材。上半身に僧祇支(そうぎし)、下半身に裳をまとい、二重反花(かえりばな)の台座上に直立する。着衣には文様を表さない。両手は胸前で組み合わせ、火焔宝珠を捧持する。頭部から台座蓮肉とその下の角枘、胸前で組んだ両手、持物の宝珠まで含めて一材から木取りし、垂髪、天衣遊離部などを別材矧ぎ付けとする。像表面は漆で目止めをし、白土下地を施した上で金箔押しとし、唇には朱を差す。宝冠は金銅製透彫に青色ガラス玉で装飾し、頂部にはペルシャ風の宝珠と三日月の意匠を表す。冠帯の左右に纓(えい)を張り出す。冠帯側面から下がる垂飾は右側の分を欠くが、左の垂飾は腰付近まで長く伸びる。なお、持物の宝珠の上の火焔にも青色ガラス玉の装飾がある。光背は宝珠形の頭光(ずこう)で、中央に蓮華文、その周囲には内側から順にC字形を連ねた雲気唐草文帯、連珠文帯、忍冬唐草文帯があり、最外部には火焔を表し、頂部には宝塔を表す。この光背は支柱を用いず、L字形の金具で像本体の後頭部に直接取り付けている。肩に掛かる蕨手状の垂髪、膝前で交差し体側に鰭状に広がる天衣の扱いなど、全体に左右相称性が強い。杏仁形の眼、古拙の微笑を浮かべる唇などとともに、いわゆる止利式仏像の様式を示すが、面相は目尻がやや吊り上がり、鼻が大きく、人中線を明確に刻む点に特色がある。本像のように、両手を胸前で組み合わせ宝珠を捧持する形の像は朝鮮半島の百済系の像に多く、中国南朝の梁の様式が百済を経て日本へもたらされたものと考えられている。久野健によって紹介された関山神社(新潟県妙高市)の銅造菩薩立像は両手先を欠失するものの、造形的に救世観音像に近い。関山神社像は百済製とみられ、日本にこの種の像が将来されていたことの傍証となる。 この像は平安時代末期にはすでに秘仏化していたとみられ、鎌倉時代の『聖徳太子伝私記』には「今世ならびに昔日にも其体(そのすがた)を知らず」とある。かつて像には白布が巻かれ、寺僧もその姿を見たことがなかったが、1884年(明治17年)、古社寺調査のため訪れたアーネスト・フェノロサが数世紀ぶりに厨子を開扉し、白布を解き、像の姿を明らかにしたとされている。なお、フェノロサによる開扉が行われたのは1884年とするのが通説だが、法隆寺僧で歴史学者である高田良信は、寺側の記録に同年開扉のことが見えないことから、実際に開扉が行われたのは1886年または1888年のことではないかとしている。現在、本像を安置する八角形の厨子は1940年(昭和15年)に製作されたもので、それ以前の厨子は元禄9年(1696年)製作のものであった。高田良信によれば、本像は元禄の時点で修理が行われており(像内には江戸時代の釘が残る)、像に白布が巻かれたのはその時ではないかという。「救世観音」という名称は経典に典拠がなく、名称の由来については諸説ある。天平19年(747年)の年記を有する『東院縁起』には本像は聖徳太子在世時に造られた「御影救世観音」であるとする。ただし、『東院縁起』は平安時代末期に古記録を集成して編集したもので、内容に矛盾が多く全面的には信頼できない史料とされている。より信頼のおける史料である天平宝字5年(761年)の『法隆寺縁起幷資財帳』(東院資財帳)には「上宮王等身観世音菩薩木像 一躯 金薄押」とあり、「救世観音」の名称は見えない。大江親通が嘉承元年(1106年)に南都の諸寺を巡拝した際の記録である『七大寺日記』に「救世観音」とあるところから、平安時代末期にはこの名称があったことがわかる。大村西崖(1926年の論文)は、中国南北朝時代以来の造像に「救苦観音」の名が多く見えることから、「救世観音」は「救苦」を「救世」と読み誤ったものとした。内藤藤一郎(1930年の論文)は、法華経観世音菩薩普門品の「観音妙智力 能救世間苦」という句が「救世観音」の典拠であるとした。この説については、「救世間苦」は「世間の苦を救う」という意味であり、「救」は「苦」には掛かっても「世」には掛からないという反論がある。藤井由紀子(1995年の論文)は、梁の武帝が「国主救世菩薩」と称された例を挙げ、「救世」とは護国仏教の理念を表す言葉であるとした。
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