救世軍難民院
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「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の記事における「救世軍難民院」の解説
救世軍難民院 (Cité de Refuge de l'Armée du Salut, Paris, France, 1929) はパリの救世軍の依頼で建てられた3棟の建物のひとつで、本部にあたる。この建物には、生活困難者の社会復帰のための宿泊施設が含まれている。巨大な箱型の建物だが、入り口部分で様々な形状を組み合わせてアクセントにしている。また、建設当初の壁面は平板なガラス張りの表情を持っていた。それらは南向きの大きな窓であり、暑さ対策として二重窓にして、その隙間の空調に配慮することになっていた。しかし、建設費の高騰などの結果、当初設置予定だった中央冷却装置は設置されず、夏場は非常に暑くなった。そのため、1935年に開閉可能な窓に変えられ、第二次世界大戦後にはブリーズ・ソレイユも付けられた。ブリーズ・ソレイユに付いた原色のパネルが、竣工当初とは全く異なるカラフルな表情を生み出した。2009年の推薦時には「集合住宅」に分類されていた。
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