救出されるまで
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「ジーニー (隔離児)」の記事における「救出されるまで」の解説
ジーニーは1957年4月、カリフォルニア州の家庭に4番目の子どもとして生まれた。ただし上の3人の子どものうち2人は虐待が原因の肺炎や血液型不適合ですでに死亡していたため、ジーニーの兄弟は兄が1人いるだけだった。生後1歳2ヶ月頃、医師に「正確には分からないが、発達が遅れているかもしれない」と診断され、それを過剰に意識した父親クラークはやがてジーニーを部屋に監禁するようになった。 ジーニーは暗い裸電球一つの寝室の中で便器付きの幼児椅子にしばりつけられ、体のほとんどの部分を父親自らが作った締め具により拘束された状態で裸のまま放置された。夜は寝袋の中に入れられることもあった。父親は音に敏感だったため、ジーニーが少しでも音や声をたてると彼女を殴った。食事はベビーフードとオートミール、たまに卵が与えられた。彼は、こういったジーニーとの接触の時けっして言葉をかけず、かわりに野生のイヌのように吠えたり唸ったりした。また、爪を伸ばして彼女をひっかいたり、歯をむきだして彼女を威嚇した。ドアの外で父親が唸ったり吠えたりする恐ろしい音が、部屋に閉じ込められていた数年間にジーニーが聞いた殆ど唯一のものだった。 母親アイリーンは目が悪く、父親に対して逆らうことができず、他の誰かに相談するために電話をかけることも満足にできなかった。ジーニーへの虐待は長期間続き、父親は母親に対して「ジーニーが12歳まで生き延びたら、彼女を助けてやる」と約束していたが、実際には彼女が12歳になっても約束は守られなかった。1970年、ジーニーが13歳半になったころ、母親は父親との激しい口論の末、ジーニーを連れて家を脱出した。ジーニーと母親は祖母の家で3週間過ごしたあと、援助施設を訪れ、事件が発覚した。1970年11月17日、新聞がジーニーのことを報じた。両親は児童虐待の罪で告訴されたが、父親は出廷を命じられた11月20日に拳銃で自殺した。
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救出されるまで
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「アンナ (隔離児)」の記事における「救出されるまで」の解説
アンナは1932年3月1日または3月6日に生まれ、その後しばらくの間、住む場所を転々とすることになった。出生後2週間の時点で祖父の農園に連れてこられたが、アンナは非嫡出子であり、祖父が彼女のことを嫌っていたため、母親の友人の家に移されることになった。その後さらに複数の養育院や乳児院をたらい回しにされ、生後の5ヶ月の時点で最終的に祖父のもとに戻された。しかし、あいかわらず祖父はアンナを嫌っていたためアンナの母親は彼女を部屋に閉じ込めたままにした。ミルクを与えられるだけで、日光にも当たらずほとんど世話はされなかった。また、ときおり兄の虐待の対象にもなっていた。アンナが4歳になる頃に母親はオートミールを食べさせるようにしたが、あいかわらずそれ以外はほぼ放置されていた。 アンナが5歳のときにペンシルベニア州付近の農家の物置に閉じ込められていたところを救出され、1938年2月6日の『ニューヨーク・タイムズ』によって報じられた。
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救出されるまで
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「イザベル (隔離児)」の記事における「救出されるまで」の解説
イザベルの母親は右目の視力・聴力に障害があり、知的能力にも難があった。読み書きや話すことはできず、身振りでしか家族とも意思疎通ができなかった。22歳頃に母親は妊娠し、1932年4月にイザベルを産んだ。その後、イザベルは母親とともに日光の当たらない部屋に監禁されていた。1938年11月に母親はイザベルを連れて脱出に成功し、保護された。母親はほとんど話すことができなかったので、イザベルは生まれてから6歳半になるまで話し言葉をほとんど聞かずに育ったことになる。実際、救出された直後はイザベルは言葉を話すことも理解することもできなかった。また、日光が遮断された部屋で育ったためかくる病のように両足が曲がってしまっていた(これについてはのちに手術が行われた)。11月16日、オハイオ州の病院に収容される。警戒心が強く、牛乳とクラッカー以外は食事を受けつけなかった。
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