救世軍の起源とは? わかりやすく解説

救世軍の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 00:52 UTC 版)

ウィリアム・ブース」の記事における「救世軍の起源」の解説

1865年7月2日ブース12人の有志招きに応じてロンドン東部貧民窟入った最初予定では、向こう週間ここで魂の救済説くのが目的であって、これが救世軍の起源となるとは、他人はもちろんブース自身思っていなかった。しかし、この救済活動最中、ある夜ブース居酒屋の前を通り、そこに集まった人々有様見て、彼らが最も救いを必要とする人々であり、これらのならず者娼婦のために一身投じた感じた。彼は帰って妻にその理由語り遂にこの貧民窟とどまってながく彼らの魂のために働こうという決心したブース夫人ロンドン中の最も大きな会場でしばしば大集会開き上流階級中流階級人々集めロンドン東部でのブース活動紹介し賛同者増加したブース新し教派形成するつもりはなかったが、上中流の教会貧民回心者を紹介しても、喜んで受け入れず受け入れて十分な世話をしなかった。またブース伝道協力する者が必要であったので、やむなくホワイトチャペルで東ロンドン伝道会East London Christian Mission)を組織した1870年にはキリスト教伝道会改称し、さらに1877年、「キリスト教伝道会義勇軍Volunteer Army)ではない。常規兵即ち救世軍Salvation Army)である」との霊感により「キリスト教伝道会一名救世軍」と命名し、それがやがて救世軍となった1879年12月には週刊の『ときのこえ英語版)』を刊行翌年には士官学校神学校)を設立するなど組織整備進み1880年2月アメリカへ、1881年にはフランスへ士官派遣した1888年秋、ロンドン第1回万国大会開催し16か国から2千余名士官が集まるなど、活動舞台世界規模広がっていった。 1907年には日本訪れ救世軍大将軍服着用したまま明治天皇謁見したほか、日本各地を「転戦」して官民熱烈な歓迎受けたブース教育機関での正規神学教育は殆ど受けられていなかったが、救世軍設立功績から、オックスフォード大学より名誉神学博士号を授与されている。 晩年には盲目となったが、つねに貧民の身を案じ中国伝道指示し、「汝、もしただ信ぜば神の約束確実なり」と唱えてこの世去ったロンドン近郊のアブネー・パーク墓地英語版)に埋葬された。

※この「救世軍の起源」の解説は、「ウィリアム・ブース」の解説の一部です。
「救世軍の起源」を含む「ウィリアム・ブース」の記事については、「ウィリアム・ブース」の概要を参照ください。

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