銅造菩薩立像とは? わかりやすく解説

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銅造菩薩立像

主名称: 銅造菩薩立像
指定番号 86
枝番 00
指定年月日 1937.05.25(昭和12.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3214
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3215
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像

主名称: 銅造菩薩立像
指定番号 261
枝番 00
指定年月日 1940.10.14(昭和15.10.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像〈(伝虚空蔵菩薩像)/〉

主名称: 銅造菩薩立像〈(伝虚空蔵菩薩像)/〉
指定番号 1605
枝番 00
指定年月日 1909.09.21(明治42.09.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3065
枝番 00
指定年月日 1958.02.08(昭和33.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像

主名称: 銅造菩薩立像
指定番号 3081
枝番 00
指定年月日 1959.06.27(昭和34.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像

主名称: 銅造菩薩立像
指定番号 3109
枝番 00
指定年月日 1960.06.09(昭和35.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 五胡十六国
年代
検索年代
解説文: 五胡十六国時代作品

銅造菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3211
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3212
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3213
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品
重要文化財のほかの用語一覧
彫刻:  銅造菩薩立像  銅造菩薩立像  銅造菩薩立像  銅造菩薩立像  銅造蔵王権現立像  銅造蔵王権現立像  銅造薬師如来両脇士像

銅造菩薩立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 04:29 UTC 版)

船形山神社」の記事における「銅造菩薩立像」の解説

祭神」の項で述べた、当神社の「御神体とされる像であり、5月1日祭礼の日以外は山中秘密の場所埋められている。日本彫刻研究者久野健1979年5月1日に本像の調査行った久野によると、本像は総高19.4センチ像高15.0センチ銅製菩薩立像で、鍍金大部分剥落しているが、ごく一部残っている。頭上には3つの花形飾を付けた宝冠いただきそれぞれの花形飾の中心から花芯前方突出しているのが特色である。両手は胸の辺に上げ右手は指を下に、左手は上に向け、いずれの手も第4・5指を曲げて、他の3本の指を伸ばす天衣(てんね)は体の前面ではX字状に交差し体側では(ひれ)状に左右に広がる。体の前面には瓔珞ようらく)が天衣と同様X字状に掛かる背面にはもと光背取り付けていた枘(ほぞ)が残り、枘の状況からみて、本像はもともと三尊像の脇侍として造られ可能性が高い。前述の、宝冠花形飾から花芯突出する装飾や、台座蓮肉砲弾形の形状など日本の上代金仏にはみられないものであり、本像が三国時代朝鮮半島からの渡来像であることを示唆する

※この「銅造菩薩立像」の解説は、「船形山神社」の解説の一部です。
「銅造菩薩立像」を含む「船形山神社」の記事については、「船形山神社」の概要を参照ください。

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