メソアメリカと南アメリカの鉱物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
「貿易史」の記事における「メソアメリカと南アメリカの鉱物」の解説
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」および「ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化」も参照 メソアメリカのアステカや、南アメリカのインカは、スペインのコンキスタドールに征服される。住人はヨーロッパ人の支配下におかれ、各地のプランテーションや鉱山で働かされた。16世紀には、ペルー副王領のポトシやヌエバ・エスパーニャ副王領のサカテカスの鉱山からの銀が、ヨーロッパとアジアへ運ばれる。アメリカからヨーロッパへの大量の銀の流入は価格革命と呼ばれる現象を引き起こし、日本の銀とともに世界貿易に影響を与えた。 17世紀後半から砂糖貿易の中心はカリブ地方へ移り、ポルトガル領ブラジルでは1693年にミナスジェライス州で金脈が発見された。金採掘の労働はサトウキビ農園よりも過酷であり、絶えず新しい奴隷が金鉱へ送られた。1703年にポルトガルのブラガンサ朝はイギリスとメシュエン条約を結び、互恵的な通商条約となった。イギリスの毛織物などの工業製品はポルトガル領ブラジルとの貿易で利益をあげて、イギリスへと金が流れた。ミナスジュライスの奴隷が採掘した金は、イギリスに発祥する国際金本位制を整えることにもなった。
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