金本位制の正式な放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:55 UTC 版)
「グローバル金融システム」の記事における「金本位制の正式な放棄」の解説
1821年にイングランド銀行が銀行券を金地金に兌換できるようにしたことで、英国で古典的な金本位制が確立した。1878年から1897年にかけてフランス、ドイツ、米国、ロシア、日本がそれぞれ金本位制を取り入れたことで、金本位制は国際的に受容された。1914年8月に各国が金輸出を禁止し銀行券の金兌換を停止して金本位制から離脱した。1918年11月11日に第一次世界大戦が終わった後、ハイパーインフレがオーストリア、ハンガリー、ドイツ、ロシア、ポーランドで発生していった。金本位制から非公式に離脱し、多くの通貨は固定相場制から変動相場制に移行した。この期間を通じて、多くの国は自国の通貨を減価させて輸出を強化しようとし、国益を奪い合った。米国や他の国々で元の金平価に復帰する試みもあったが、その試みは熱心でなく調整もされていなかった。大恐慌の初めに米国、オーストリア、ドイツで倒産が続発した。このため英国は金準備に圧力を受けて金本位制を持続できなくなった。1931年7月15日にドイツのドレスナー銀行が外国為替管理を実施し、破産を発表した。これによりドイツは第一次世界大戦後に金本位制を正式に放棄した最初の国になった。英国は英ポンドが自由に変動することを1931年9月に認めた。1931年末までに、オーストリア、カナダ、日本、スウェーデンなど多くの国々が金本位制を放棄した。米国は、銀行破綻が広まり、金準備が大量に流出したため、1933年4月に金本位制を取り止めた。フランスは、レオン・ブルーム政権に対する政治的懸念により投資家がフランから逃避したため、1936年まで金本位制を続けた:58:414:32–33。
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