金本位制の停止
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1958年頃からアメリカの国際収支の赤字が目立つようになり、ドルに対する不安が国際的に広まった。1971年8月15日にリチャード・ニクソン大統領はドルと金との兌換停止を発表し、いわゆるニクソン・ショックとなった。1971年12月18日にはスミソニアン博物館で開催された十ヶ国蔵相会議でドル平価の切り下げに至り、金1オンス=38ドルとされ、各国の通貨の対ドル平価引上げなど多角的通貨調整で合意されたスミソニアン協定が発効した。しかし、ドルに対する不安はやむことなく、各国はドルに対し変動相場制をとるようになり、1973年2月12日に金1オンス=42ドル22セントと再び平価の引き下げに至った。1976年1月にジャマイカのキングストンで開催された国際通貨基金暫定委員会では、金・ドルは将来にわたって価値基準とせず金の公定価格や各国通貨当局による金の売買の制限規定を削除するなどの合意に至り、各国は変動相場制を中心としたキングストン体制となり、価値基準としての金・ドルは放棄され金本位制は幕を閉じた。
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金本位制の停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 14:41 UTC 版)
第一次世界大戦の影響による金の国外流出を防止するため、世界では兌換および輸出の一時停止が主流となるなかで、大正6年(1917年)9月10日にアメリカが兌換を停止したのに追随して日本でも同年9月12日に金貨および金地金の輸出が許可制となり実質上停止された。この時点で兌換は停止されなかったが、事実上の輸出禁止は兌換停止と同じ効果をもたらした。しかし1920年代後半に金解禁が世界的な流れとなる中、日本に対しても解禁の要望が高まり、昭和5年(1930年)1月11日、内閣総理大臣、濱口雄幸のもと大蔵大臣、井上準之助により金解禁が行われた。しかし、円相場下落の中、旧平価による解禁を行ったため、多額の金貨および金地金の流出を招き、翌年の昭和6年(1931年)12月に再び、兌換停止、輸出が禁止となった。その後も日本銀行兌換券が発行されたが、兌換が再開されることは無かった。 昭和7年(1932年)3月4日、大蔵省は産金時価買上要綱で買上価格を1グラム1圓93銭(1圓=518ミリグラム)とし、貨幣法第二条に定められた金平価より事実上の切り下げとなった。昭和12年(1937年)8月10日には、金準備評価法(昭和12年法律第60号)が制定され日本銀行の金準備が純金290ミリグラムに付1圓で再評価され、さらなる平価切下げとなった。その後の昭和17年(1942年)の日本銀行法では「当分ノ内貨幣法第二条ノ規定ニ依ラザルコトヲ得」とされたが、この時限措置は以降解除されることは無かった。 第二次世界大戦後の新円切替後、大幅なインフレーションに見舞われ、1949年(昭和24年)以降ドッジ・ラインにより1ドル=360円の固定相場にペッグされ、またアメリカは1934年(昭和9年)から政府の金買入価格を1オンス=35ドルに定め、1944年(昭和19年)の国際通貨基金の協定でもこの金・ドルレートが成立したことから、金1グラムは405円(1円=2.47ミリグラム)となった。日本では金管理法(昭和28年法律第62号)第四条「前条の規定により政府が金地金を買い入れる場合の価格は、国際通貨基金協定第四条の規定による価格の範囲内で主務大臣が定める」により買入価格は金1グラムにつき405円と定められ、貨幣法第二条の金平価との乖離は著しく拡大し条文は完全に死文化した。1971年(昭和46年)8月15日にリチャード・ニクソン大統領はドルと金との兌換停止を発表し、1971年(昭和46年)12月18日には十ヶ国蔵相会議で合意されたスミソニアン協定で金1オンス=38ドルとドル平価が切り下げられ、円は1ドル=308円と切上げられるなど固定相場制が揺らいだ。それでもドルに対する不安は収まらず、各国はドルに対し変動相場制をとるようになり、1973年(昭和48年)2月12日に金1オンス=42ドル22セントと再び平価の引き下げ、同年(昭和48年)2月14日以降、日本円もドルに対し変動相場制となった。1976年(昭和51年)1月にジャマイカのキングストンで開催された国際通貨基金暫定委員会では、金・ドルは将来にわたって価値基準とせず金の公定価格や各国通貨当局による金の売買の制限規定を削除するなどの合意に至り、各国は変動相場制を中心としたキングストン体制となり、価値基準としての金・ドルも放棄された。 しかし有名無実化した貨幣法が法制上は昭和63年(1988年)まで生き続けることになる。紙幣の金兌換は停止されてはいたものの、新旧の本位金貨は通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年法律第42号)の施行により昭和63年(1988年)3月31日限りで廃止となるまで、法令上は長期に亘って現行通貨であった。廃止された本位金貨と現行通貨との引換えは原則として昭和63年(1988年)4月1日より9月30日までと設定されたが、引換え実績は0枚であった。本位貨幣の廃止に伴い、日本は名実ともに管理通貨制度に移行した。
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