世界的な流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 05:59 UTC 版)
年齢主義も課程主義も、学校が現れてからの概念であるが、必ずしも普遍的な義務教育制度が完成してからの物ではない。古代より学校そのものは存在し、一部の階層を対象に教育が行われていた。近代的な学校以前の教育施設は、制度も目的も対象者もさまざまであり、また初等学校と高等学校との連携が取られていたわけではない。 傾向的には、世代が下るにつれ初中等教育が年齢主義的になっている。これらは、義務教育制度が発達し、児童労働の防止の観点から就学義務が設けられるなどの趨勢と一致し、小学校は児童のための学校という認識が強まっていった。また、徴兵制などのもとでは、知識レベルではなく体格レベルでまとめた方が将来の兵士の養成に役立つため、学校もそういった形態になりやすい。例えばナチスドイツ期のヒトラーユーゲントや、日本の青年学校なども、徴兵制度などと密接なかかわりがあった。学校と軍の関わりが強いと、国民の錬成の観点からも年齢主義は歓迎される。 学校を知識習得のための場としてだけみるならば、年齢主義は意味がないが、心身の発達に応じて教育を施すことを目的とするのであれば、やはり同年齢教育に近い方が指導しやすい。この点は、学校外教育がどの程度充実しているかによっても異なり、例えばボーイスカウトなどの青少年の共同団体が一般的である社会とそうでない社会によっても異なる。また専業主婦が多かったり、大家族が多かったりする社会では、学校は純粋に知識の獲得のみの役割を担うことが容易である。 しかし、生涯学習の理念に基づき、「教育は若年期だけのものではない」という考えから、各国で在学年齢の広範囲化がすすんでいる。これらは特に大学などで顕著で、欧米ではさまざまな年齢の大学生が存在する。また積極的に低年齢者を大学に入学させている国も存在するなど、制度はあくまで二の次であり、個人の特性を第一に考えている場合も多い。 歴史的には、近代的学校制度が整うまでに一般的であった年齢階梯制の役割を、学校が肩代わりしていくといった変化が見られる。当初は、知識を得る場としての学校や私塾と、同年齢集団である青年団や若者組は、明確に異なるものであったが、学校が同学年同年齢のシステムに近づいていくに伴い、学校が同年齢集団の場と化していった。特にこういった傾向は、日本のような1日の授業時間の長い学校制度で顕著である。 また、年齢主義は生年月日および年齢(の下限・上限)を基準にするため、国民の生年月日を記録する制度がない国・地域では正常に機能しない。現代でも生年月日を厳格に記録していない国・地域もあるため、この場合は精密な年齢主義は不可能である。こういったことから、年齢主義の普及には戸籍に生年月日を記録する制度の導入が前提条件となる。社会と政府の近代化に伴い、同年齢教育が実行可能になったといえよう。また、児童労働の防止を目的とした義務教育制度の発足により、特定年齢層の全員就学の必要性が高まったことも原因である(「義務教育」の記事を参照)。
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