世界的な成功と日常生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/02 08:40 UTC 版)
「ジョン・マクヴィー」の記事における「世界的な成功と日常生活」の解説
それから数年間、フリートウッド・マックは数回の違うラインナップを経験した。そのことは時々バンド内の衝突や面倒の材料となった。そして、頻繁なツアー、ジョン・マクヴィーの多量の飲酒は彼の妻、クリスティンにとって重荷になってきた。1974年、マクヴィー夫妻はフリートウッド・マックの他のメンバーと一緒にロサンゼルスに移住した。ここでは短い間ジョン・メイオールと共に住んでいた。1975年、フリートウッド・マックはアメリカのシンガーソングライターデュオであるスティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムを加入させてからワールドワイドな成功を収める。しかし、バンドの成功に続いて深刻な結婚生活の問題がマクヴィー夫妻に起きてしまった。1977年、「噂」の録音中、ジョンとクリスティン・マクヴィーの結婚は破綻し、2人は同じ年に離婚した。傷を隠す方法として、アルバムにおけるクリスティンの曲の一部はジョン・マクヴィーについて書かれている。それは「ドント・ストップ」において顕著である。 ジョン・マクヴィーは1978年にジュリー・アン・ルーベンスと再婚しているが、多量の飲酒は続いていた。 1981年、マクヴィーは再びブルースブレイカーズに参加し、「リユニオン・ツアー」と呼ばれるツアーに出ることを承諾した。ジョン・メイオールとミック・テイラー、コリン・アレンがメンバーだった。1982年の間バンドはアメリカ、アジア、オーストラリアでツアーをしていた。(ジョン・マクヴィーは1983年のヨーロッパツアーには参加していない。代わりにスティーヴ・トンプソンが参加した。) アルコールは1987年に病気を引き起こし、ついに彼は飲酒癖を止めようと試みた。それからは今まで禁酒したままである。1989年、マクヴィーの妻、ジュリー・アンが初めての子供(娘)、モリー・マクヴィーを産んだ。彼のフリートウッド・マックにおける活動はコンスタントであるがとくに控えめである。しかし、事実としてバンドは「マック」という部分を彼の名前の一部から取っている。彼はバンド活動の中で共同制作として名を残している曲はごくわずかであり、「ステイション・マン」、「ザ・チェイン」位のものである。 イギリスの60年代における音楽シーンにおける他の多くのベースプレイヤー(ジョン・エントウィッスル、ジャック・ブルース、ポール・マッカートニー)と比べて、一般にジョン・マクヴィー及びフリートウッド・マックのロックへの貢献はしばしば見落とされた。彼のベース演奏は暖かくフルトーンであり、ミック・フリートウッドのビートから少しだけずれていて、そして簡潔でメロディックであり、絶妙なフレーズが展開される。彼の貢献はフリートウッド・マックの多くの曲に確固たるリズムの基礎を提供していることである。例えば「ドント・ストップ」や「リアノン」がある。どちらの曲も特筆すべき世界的なヒット曲となった。
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