世界的な映画制作者に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 17:12 UTC 版)
「ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ」の記事における「世界的な映画制作者に」の解説
脚本家、製作者として名声を得たマンキーウィッツだが、1940年代に入り、プレストン・スタージェス、ジョン・ヒューストン、ビリー・ワイルダーといった脚本畑出身の映画監督が華々しく登場していた。そしてマンキーウィッツも1946年に病気で降板したエルンスト・ルビッチ監督に代わってメガホンを取った『呪われた城』で念願だった映画監督としてデビューする。 以降は脚本家として培った、洗練された台詞回しと知的で文学的な雰囲気を漂わせる作風で、1947年の『幽霊と未亡人』と1949年の『他人の家』など上質の娯楽映画を次々と発表、興行的にも批評的にも高い評価を得て、監督としても大成功を収める。そして1949年の『三人の妻への手紙』と1950年の『イヴの総て』でそれぞれアカデミー監督賞と脚色賞を2回ずつ受賞。特に『イヴの総て』ではアカデミー作品賞の栄冠に輝いた。 1950年からは全米監督協会の会長を務めるが、革新的な考えを持っていたため、セシル・B・デミルをはじめとする超保守派から猛反発を受ける。同年10月22日の深夜まで及んだ臨時総会でのジョン・フォードの発言で、マンキーウィッツは会長を留任し、デミルが排斥される結果となる。 『イヴの総て』の大成功の後、大プロデューサーのダリル・F・ザナックの後押しもあって、1952年にスパイ・サスペンス『五本の指』、1953年にマーロン・ブランド主演のシェークスピア劇『ジュリアス・シーザー』、1954年にハンフリー・ボガートとエヴァ・ガードナー共演の『裸足の伯爵夫人』、1955年にブロードウェイ・ミュージカルの映画化『野郎どもと女たち』、1959年にエリザベス・テイラー主演でテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『去年の夏突然に』などを手掛けてゆく。
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