金本位制による兌換券の発行
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「日本銀行券」の記事における「金本位制による兌換券の発行」の解説
金本位制の確立に伴い、日本銀行が発行する銀行券は金兌換券としての「日本銀行兌換券」に移行した。1899年(明治32年)末には旧来の雑多な紙幣を失効し、日本国内で流通する紙幣の日本銀行券への一本化が完了した。その後は写真技術や印刷技術の向上に伴い精巧な偽造券が発見されるようになったことや、経済発展とともに紙幣発行高が増大したことなどからこれに対応する新紙幣が順次登場していった。 1927年(昭和2年)に発生した昭和金融恐慌の際には、その沈静化のために史上稀に見る裏面の印刷が省略された乙貳百圓券紙幣が急造されることとなった。 1923年(大正12年)の関東大震災により滅失した兌換券の整理のために旧紙幣は回収されることとなり、交換対象となる乙百圓券・丙拾圓券・丁五圓券が1930年(昭和5年)に発行された。このシリーズの日本銀行兌換券では一定のテーマに基いた統一性のあるデザインが入念な検討のもとに施され、技術的な観点からも当時の紙幣製造の最高技術を結集して製造されたものであり、デザイン面・印刷技術面の両面で世界的に遜色のない水準の紙幣であった。回収対象となる旧紙幣については1931年(昭和6年)12月までに全体の9割以上が回収され、旧紙幣失効後の1939年(昭和14年)4月時点の最終的な未回収率は発行高の3%程度という結果となった。 1897年(明治30年)10月1日:「貨幣法」施行および「兌換銀行券条例」の改正により事実上の銀本位制から金本位制に移行。これに伴い「日本銀行兌換銀券」から「日本銀行兌換券」に移行し、既存の兌換銀券は金兌換券として扱われる。 1899年(明治32年)3月20日:旧百圓券、旧拾圓券、旧五圓券、旧一円券が日本銀行による回収対象となる。 1899年(明治32年)4月1日:甲五圓券発行開始。 1899年(明治32年)10月1日:甲拾圓券発行開始。 1899年(明治32年)12月9日:「国立銀行紙幣ノ通用及引換期限ニ関スル法律」により紙幣整理が実施され日本銀行券発行開始以前に発行されていた旧来の紙幣である国立銀行紙幣失効。 1899年(明治32年)12月31日:「政府発行紙幣通用廃止ニ関スル法律」により紙幣整理が実施され日本銀行券発行開始以前に発行されていた旧来の紙幣である明治通宝および改造紙幣失効。これにより日本国内で使用される紙幣は日本銀行券に一本化。 1900年(明治33年)12月25日:甲百圓券発行開始。 1910年(明治43年)9月1日:乙五圓券発行開始。 1915年(大正4年)5月1日:乙拾圓券発行開始。 1916年(大正5年)12月15日:丙五圓券発行開始。 1917年(大正6年)11月8日:大正小額政府紙幣 五拾錢券・貳拾錢券発行開始、大正小額政府紙幣 拾錢券告示上の発行開始。 1917年(大正6年)11月20日:甲貳拾圓券発行開始。 1917年(大正6年)12月6日:大正小額政府紙幣 拾錢券実質的な発行開始。 1927年(昭和2年)4月25日:昭和金融恐慌の沈静化のため乙貳百圓券発行開始。 1927年(昭和2年)5月12日:丙貳百圓券告示上の発行開始。 1930年(昭和5年)1月11日:乙百圓券発行開始。 1930年(昭和5年)3月1日:丁五圓券発行開始。 1930年(昭和5年)5月21日:丙拾圓券発行開始。 1931年(昭和6年)7月21日:乙貳拾圓券発行開始。 1931年(昭和6年)12月17日:「金貨兌換停止に関する緊急勅令」施行により金兌換を停止し事実上管理通貨制度に移行。 1938年(昭和13年)7月5日:小額政府紙幣 五拾錢券(富士桜)発行開始。 1939年(昭和14年)3月31日:「兌換銀行券整理法」により関東大震災(1923年(大正12年))以前から発行されていた五円以上の日本銀行券13券種(旧百圓券、改造百圓券、甲百圓券、甲貳拾圓券、旧拾圓券、改造拾圓券、甲拾圓券、乙拾圓券、旧五圓券、改造五圓券、甲五圓券、乙五圓券、および丙五圓券)失効。 1942年(昭和17年)1月6日:丁貳百圓券告示上の発行開始、い五圓券発行開始。 1942年(昭和17年)4月20日:甲千圓券告示上の発行開始。
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