改造百圓券とは? わかりやすく解説

改造百圓券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:20 UTC 版)

百円紙幣」の記事における「改造百圓券」の解説

1891年明治24年11月10日大蔵省告示36号兌換銀行券百圓見本揭示ノ件」により紙幣の様式公表されている。主な仕様下記の通り日本銀行兌換銀券 額面 百圓100円表面 藤原鎌足紙幣面の人名表記は「藤原鎌足公」)、兌換文言発行根拠文言偽造変造罰則文言 裏面 彩紋英語表記兌換文言 印章表面総裁之印 〈裏面文書局長金庫局長 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造 記番号仕様記番号赤色 記番号構成記号〉「第」+組番号漢数字1 - 2+「號」 〈番号通し番号漢数字5桁 寸法 縦130mm、横210mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1891年明治24年下期 - 1899年明治32年下期 記号(組番号範囲 「第壹號」 - 「第貳七號」(1記号当たり15,000製造製造枚数 400,000 発行開始1891年明治24年11月15日 通用停止1939年昭和14年3月31日 発行終了 失効大黒旧券には紙幣強度高めるためにコンニャク粉混ぜられ、そのためネズミ食害されることが多々あり、また偽造防止対策として採用された薄い青色鉛白含有するインキ温泉地黒変しかえって偽造し易くなるなどの技術的欠陥明らかになったことから、これを改良するために「改造券」が発行された。 表面輪郭形状眼鏡フレームのように見えることから、通称は「めがね100円」「めがね鎌足」「めがね」である。偽造防止対策として精巧な人物肖像印刷することとなり、肖像には1887年明治20年)に選定され日本武尊武内宿禰藤原鎌足聖徳太子和気清麻呂坂上田村麻呂菅原道真の7人の候補の中から、改造百圓券には藤原鎌足選ばれている。なお藤鎌足肖像は、文献資料絵画・彫刻参考にしつつ国学者黒川真頼などの考証を基に、エドアルド・キヨッソーネ当時大蔵大臣であった松方正義モデルとしてデザインしたものとされる四隅や地模様には、肖像藤原鎌足因んだ模様あしらわれている。図案製作者は旧券と同じくイタリア人エドアルド・キヨッソーネである。裏面彩紋模様により装飾され額面金額数字左側配置されている他は英語表記兌換文言記載されているのみであるが、地模様などもなく簡素な図柄となっている。 記番号漢数字となっており、通し番号5桁である。記録上、「第壹號」~「第貳七號」が製造され最大通し番号は「壹五〇〇〇となっているが、欠番がある。旧券と同様に当時高額紙幣であったため、主に銀行間の支払い用いられた。発行枚数少なく現存数は非常に少ない(未回収93という記録あり。おそらく現存程度。)と推測される透かしは「日本銀行」の文字菊紋および桐紋である。日本発行された最も大きな寸法紙幣である。 使用色数は、表面3色(内訳凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、印章1色)となっている。 「兌換銀券」と表記されているが、1897年明治30年10月貨幣法施行および兌換銀行券条例改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い以降は金兌換券として扱われることになった1927年昭和2年2月制定され兌換銀行券整理法により1939年昭和14年3月31日限り通用停止となった

※この「改造百圓券」の解説は、「百円紙幣」の解説の一部です。
「改造百圓券」を含む「百円紙幣」の記事については、「百円紙幣」の概要を参照ください。

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