改造百圓券
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1891年(明治24年)11月10日の大蔵省告示第36号「兌換銀行券百圓卷見本揭示ノ件」により紙幣の様式が公表されている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行兌換銀券 額面 百圓(100円) 表面 藤原鎌足(紙幣面の人名表記は「藤原鎌足公」)、兌換文言、発行根拠文言、偽造変造罰則文言 裏面 彩紋、英語表記の兌換文言 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、金庫局長 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造 記番号仕様記番号色 赤色 記番号構成 〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 2桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字5桁 寸法 縦130mm、横210mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1891年(明治24年)下期 - 1899年(明治32年)下期 記号(組番号)範囲 「第壹號」 - 「第貳七號」(1記号当たり15,000枚製造) 製造枚数 400,000枚 発行開始日 1891年(明治24年)11月15日 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日 発行終了 失効券 大黒旧券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられ、そのため虫やネズミに食害されることが多々あり、また偽造防止対策として採用された薄い青色の鉛白を含有するインキが温泉地で黒変しかえって偽造し易くなるなどの技術的欠陥が明らかになったことから、これを改良するために「改造券」が発行された。 表面の輪郭枠の形状が眼鏡のフレームのように見えることから、通称は「めがね100円」「めがね鎌足」「めがね札」である。偽造防止対策として精巧な人物肖像を印刷することとなり、肖像には1887年(明治20年)に選定された日本武尊・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・坂上田村麻呂・菅原道真の7人の候補の中から、改造百圓券には藤原鎌足が選ばれている。なお藤原鎌足の肖像は、文献資料や絵画・彫刻を参考にしつつ国学者の黒川真頼などの考証を基に、エドアルド・キヨッソーネが当時の大蔵大臣であった松方正義をモデルとしてデザインしたものとされる。四隅や地模様には、肖像の藤原鎌足に因んだ藤の模様があしらわれている。図案製作者は旧券と同じくイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである。裏面は彩紋模様により装飾された額面金額の数字が左側に配置されている他は英語表記の兌換文言が記載されているのみであるが、地模様などもなく簡素な図柄となっている。 記番号は漢数字となっており、通し番号は5桁である。記録上、「第壹號」~「第貳七號」が製造され、最大通し番号は「壹五〇〇〇」となっているが、欠番がある。旧券と同様に当時超高額紙幣であったため、主に銀行間の支払いに用いられた。発行枚数が少なく現存数は非常に少ない(未回収93枚という記録あり。おそらく現存数枚程度。)と推測される。 透かしは「日本銀行」の文字と菊紋および桐紋である。日本で発行された最も大きな寸法の紙幣である。 使用色数は、表面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、印章1色)となっている。 「兌換銀券」と表記されているが、1897年(明治30年)10月の貨幣法施行および兌換銀行券条例の改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い、以降は金兌換券として扱われることになった。 1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。
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