紙幣の様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:00 UTC 版)
表面右側には沖縄県那覇市にある沖縄県指定有形文化財の首里城守礼門が描かれており、地模様として上部に山桜と野紺菊があしらわれている。裏面には、透かし部分の空白左側に源氏物語絵巻第38帖「鈴虫」第2場面の絵図から採られた光源氏(右側)と冷泉院(左側)が向かい合う図柄に重ねて、「鈴虫」の詞書の一部分(詳細は後述の「#裏面の詞書」を参照)が、空白右側には紫式部日記絵巻第1段から採られた「源氏物語」の作者である紫式部が藤原実重と藤原成房に抗議するために蔀戸を上げている図柄が描かれている。 表面に人物肖像が用いられなかったのは1946年(昭和21年)から1947年(昭和22年)にかけて発行開始されたA号券以来である。この理由は、紙幣の原版彫刻に相当の時間を要する本格的な人物肖像と比べ、建築物や絵巻物の図柄が採用することにより考証や制作が短時間で実施でき、難航することが想定される人物肖像の選定も回避できるためである。第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)開催直前に発行することが大前提であったものの、二千円紙幣の発行決定が発行開始日のおよそ1年前であり、通常よりも短期間で発行準備を完了させなければならない状況であったためこのような対応がとられた。 視覚障害者が触覚で券種を識別できるようにした識別マークについてはD一万円券、D五千円券、D千円券で採用されていた透かしによるものから変更され、紙幣の表面下端の左右に深凹版印刷によりインクを盛り上げて凸凹を感じられるようにした方式が取られている。D二千円券には点字の「に」を模した「丸印が縦に3つ」の識別マークが施されている。また国立印刷局によりスマートフォンで金種の判別・読み上げができるアプリ「言う吉くん」を提供されている。 透かしは表面の図柄と同じ守礼門だが、別の角度から見たものとなっている。さらに守礼門に掲げられた扁額に記された「守禮之邦」の文字が透かしによるマイクロ文字となっている。 D二千円券発行開始当時の五千円紙幣であるD五千円券と比較すると、長辺の長さの差は1mmしかない。これは1984年(昭和59年)のD号券登場時には二千円紙幣の登場を想定しておらず、寸法の余裕を持たせていなかったことによるものである。2004年(平成16年)から発行されているE五千円券との長辺の長さの差は2mmとなっているが、これは二千円紙幣導入後に発行開始されたE五千円券ではD二千円券との識別性を考慮し、D五千円券よりも寸法が若干拡大されたためである。 使用色数は、表面では15色(内訳は凹版印刷による主模様(光学的変化インク含む)4色、地模様9色、印章1色、記番号1色)、裏面では7色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様5色、印章1色)となっており、現在発行中の、また歴代の日本銀行券の中で最もカラフルな券面となっている。 D二千円券が発行されていた期間のうち、2000年(平成12年)から2004年(平成16年)の間に、製造元(銘板)が「大蔵省印刷局」から「財務省印刷局」になりさらに「国立印刷局」に変わっているが、二千円紙幣は大蔵省時代の2000年度(平成12年度)と2003年度(平成15年度)にのみ製造されたため銘板の記載は「大蔵省印刷局製造」のものしか存在しない。 世界の紙幣カタログなどには記念紙幣として扱われている場合もあるが、法律上は日本銀行法第46条および第47条、並びに日本銀行法施行令第13条の規定により発行された、恒久的な通常の日本銀行券であり、記念紙幣ではない。
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