紙幣の製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:00 UTC 版)
中銀券は日本の内閣印刷局に製造が委託されていたが、大東亜戦争(太平洋戦争)に於ける日本軍の占領地域の拡大と、その地域で使用する各種紙幣の製造が優先されたため、中銀券の製造は後回しにされた。また、紙幣輸送で使用していた関釜連絡船がアメリカ海軍潜水艦の脅威に晒されたため、満洲国の経済当局が日本の陸軍、大東亜、大蔵の各省と折衝した結果、満洲国が必要とする紙幣は満洲国内で製造される事になり、1944年(康徳11年)に内閣印刷局や凸版印刷、大日本印刷の各社から凹版、凸版、平凹版等の印刷機械数十台を譲り受け、満洲帝国印刷廠(局)で印刷が行われた(丙改券)。紙幣で使用する用紙は、吉林特殊製紙と満洲豆桿パルプを直轄の製紙工場として、パルプに在来の中銀券を溶解して回収した三椏を混入したものを使用した。大東亜戦争の深刻化により満洲国内でもインフレが進み、紙幣の使用量が急増したため、新たに千圓券の製造に着手したが、製造途中で終戦を迎えたため、実際には使用されなかった。
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