潜水艦の脅威
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 14:44 UTC 版)
「7月5日の海戦 (1942年)」の記事における「潜水艦の脅威」の解説
当初、アメリカ軍が北方に配備してた潜水艦は旧式のS型潜水艦6隻だけであった。同年8月までに北方方面に計8隻(グロウラー、トライトン、フィンバック、トリガー、グラニオン、ガトー、コーヴィナ、ハリバット)の大型潜水艦を揃えた。これらのアメリカ軍潜水艦はアッツ島やキスカ島に出動し、日本軍の脅威となった。 詳細は「7月15日の海戦(英語版)」を参照 たとえば、アメリカのガトー級潜水艦グラニオン (USS Grunion, SS-216) がキスカ島近海で行動中の7月15日、キスカ港外を哨戒中の第13駆潜隊(駆潜艇25号、26号、27号)を発見し、魚雷攻撃で駆潜艇25号と27号を撃沈した。第13駆潜隊は春山淳司令が戦死、駆潜艇26号を残すのみになった。グラニオンは7月31日にも、キスカ港外で鹿野丸(国際汽船、8,572トン)を襲撃した。このグラニオンの雷撃で鹿野丸は航行不能に陥った(ただし、鹿野丸の反撃でグラニオンも沈没)。 潜水艦に対処する「駆潜艇」の沈没は、先の第18駆逐隊の損害と相まって、日本海軍に衝撃を与えた。危機感を覚えた北方部隊(第五艦隊)は、アメリカ軍機動部隊が出現しないこともあり、日本軍空母機動部隊をふくめ増援部隊各艦を内地へ帰投させている。 これより前の7月10日、第一水雷戦隊司令官大森仙太郎少将を指揮官とする北方部隊護衛隊(軽巡洋艦〈阿武隈〉、第6駆逐隊〈暁、雷、電、響〉、第21駆逐隊〈若葉、初春、初霜〉)が編成され、キスカ周辺の敵潜掃討と艦船の護衛警戒を行うことになった。護衛隊各艦はキスカ湾に集結、まず第二次輸送部隊のうち「あるぜんちな丸」が阿武隈と電に護衛されてキスカを離れた。次に千代田は初春に護衛され、7月12日にキスカを出発して内地にむかった。キスカ島に配備された甲標的は、基地設備不十分と米軍の爆撃等により、遂に作戦には使用されなかった。 キスカ島に残された不知火と霞は、前月に撃沈された日産丸の残骸に隠れて応急修理を行った。7月17日、大本営は大海指第114号により横須賀鎮守府に対し、夕雲型駆逐艦長波をして不知火・霞救難用資材人員の輸送を命じた。派遣されたのは横廠の村田章造(操船大尉)や小林勝二(造船中尉)を中心とする救難隊であり、甲標的関連でキスカ現地にいた桜井清彦(造船大尉)も作業に協力したという。 7月19日、陽炎は菊川丸を護衛してキスカに到着した。7月20日、陽炎は第18駆逐隊から除かれ、第15駆逐隊に編入された(黒潮、親潮、早潮、陽炎)。また第18駆逐隊は第五艦隊に編入された。
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