大統領専用機の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:25 UTC 版)
「エアフォースワン」の記事における「大統領専用機の導入」の解説
任期中に初めて航空機に乗った大統領はフランクリン・ルーズベルトである。大統領旅行のために特別に取得された最初の航空機は、1933年に引き渡されたダグラス ドルフィン水陸両用飛行機で、アメリカ海軍によってRD-2として設計され、ワシントンD.C.アナコスティア海軍基地(en)に配備された。この飛行機には、4人の乗客の為に贅沢な内装と、小型のセパレート睡眠用客室が施されていた。航空機は、1933年から1939年にかけて、大統領輸送の任に付いていた。しかし、実際に大統領がこの航空機に搭乗したというレポートはない。 第二次世界大戦中、ルーズベルト大統領は1943年のカサブランカ会談に参加する為、パンアメリカン航空が所有するボーイング314飛行艇 Dixie Clipperに乗って、8,890 kmを飛行している。大西洋でのドイツ潜水艦の脅威は、要人の大西洋横断手段としての空の旅を最適なものとした。 大統領の移動を商業航空会社に頼る事に対する懸念から、アメリカ空軍司令部は軍用機の転換を総司令命令として発令した。選ばれたのはC-87A シリアルナンバー41-24159 の機体で、1943年にルーズベルト大統領の海外渡航のための大統領使用機「Guess Where II 」へと特別に改装された。 これが受け入れられれば最初の大統領執務に使用される機体、いわゆる大統領専用機になるはずであったが、シークレットサービスが就役中のC-87の議論のある安全性に関する記録を精査した後で「Guess Where II 」を大統領の移動に使用することをきっぱりと断った。C-87はB-24リベレイター爆撃機の改造機であったため、訪問先への攻撃的な印象を与えかねないため大統領は使用しなかったが、他の政権上層部の移動には利用されたようである。「Guess Where II 」はエレノア・ルーズベルトの数度のラテンアメリカ諸国への慈善旅行に使用された。C-87は1945年にスクラップにされた。 その後シークレットサービスは、大統領専用機としてダグラス C-54を再設計した。the Sacred Cowというニックネームを付けられたVC-54Cには、無線電話、寝室、そして大統領就任前に患ったポリオによって車椅子で移動しているルーズベルト大統領の為に、開閉式のエレベーターが設えられた。そして、1945年2月のヤルタ会談に出席するルーズベルト大統領を乗せ、最初で最後になるミッションを行った。
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