大統領就任からクーデターによる政権崩壊へ
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「シディ・モハメド・ウルド・シェイク・アブダライ」の記事における「大統領就任からクーデターによる政権崩壊へ」の解説
2007年6月7日、アブダライ政権は、石油輸出が微量であることと、技術的な問題により、国家予算が1億1,200万米ドル不足しているとし、アブダライの大統領としての給与、および閣僚全員の給与を25%削減すると表明した。アブダライが公の場で演説するのは、就任以来これが初めてであった。アブダライは1989年から1991年の3年間を暗黒の年と呼び、タヤ政権の強権的支配で発生した難民や犠牲者の遺族に対する国家的補償を明言。また、世界で最後まで奴隷制が維持されている国として批判されているモーリタニアの社会制度を見直し、タヤ政権が履行に積極的ではなかった奴隷制廃止については、その実現を表明した。 また、2007年9月26日には、ニューヨークの国連本部で反政府勢力モーリタニア・アフリカ解放勢力(FLAM)の指導者と会談し、和平に向けた努力を相互が行うことで合意した。FLAMは、アラブ系住民が支配者層を築くモーリタニアでは少数派となる黒人の勢力で、黒人の地位向上を訴えて反政府活動を行い、1986年から政府によって非合法化されていた。モーリタニアの指導者がFLAMと会談の場を持ったのは、これが初めてである。 無所属のアブダライは議会での支持基盤が脆弱だったが、アブダライ政権支持者により、2008年1月に与党民主開発国民契約が成立した(アブダライ自身は非加入)。野党はこれについて、過去のダッダ政権のような一党制時代に逆戻りする行為だとして、厳しく糾弾した。 2008年8月6日(日本時間)、軍事クーデターが発生し、首相とともに自宅軟禁されていると報道された。大統領の実権は軍部の高等国家評議会議長ムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズに移りアブダライは失脚。同年12月に軍政当局による拘束から解放されたが、その後軍政主導で行われた2009年6月の大統領選には出馬できなかった。 2020年11月22日、首都ヌアクショットで死去。
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