大統領就任と首相指名とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大統領就任と首相指名の意味・解説 

大統領就任と首相指名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:56 UTC 版)

フランス第二共和政」の記事における「大統領就任と首相指名」の解説

1848年12月22日ルイ・ナポレオン立法議会宣誓して新大統領就任した。彼は「皇太子=大統領プランス=プレジダン)」と呼ばれた。 しかし、新政権発足孤立無援からのスタートとなった大統領就任して首相指名し組閣命じなければならなかったが、議会調整役となり政策実行する役目果たせ人物当てがなかったのである。本来、こうした役割ルイ・ナポレオン大統領選支えた新聞王エミール・ジラルダン(英語版)といった人物引き受けるべきであったが、ジラルダンは急進的な改革派議会調整役不適格な人物であり、大統領の手足となりうる存在ではなかった。 議会調整役としては革命前政権掌握していたオルレアン派が有望であったが、ルイ・ナポレオン旧体制支えていた派閥との妥協消極であった。しかし、背に腹変えられないルイ・ナポレオンアドルフ・ティエール相談持ちかけた。ティエール政権運営難航予想して首相就任の任を引き受けなかったが、代打として同僚のオディオン・バローを推薦したバロー傀儡として利用することができるが、サンシモン主義信奉していたルイ・ナポレオン提示する社会改革政策として具体化させ、貧困との戦い通じて民衆を救うという政治構想実現できる人物ではなかった。そのため、ルイ・ナポレオン共和派ラマルティーヌ首相引き受けてもらおう散歩道すがら接触試み首相就任引き受けてほしいと申し出たラマルティーヌ引退決め込んでいたためこの申し出拒絶しバロー推薦しながら彼が拒否した自分引き受けると返答した各派首相指名拒否して消去法的にバローが新首相に浮上しバロー大統領申し出受諾して組閣着手することになった案の定第一次オディオン・バロー内閣英語版)は閣僚ポストオルレアン派など王党派固めた。したがってルイ・ナポレオンは『貧困根絶フランス語版)』(1844年)で国立集団農場設置して入植者未開拓地派遣し農業増産によって食糧価格騰貴対処する政策案を提示していたのだが、そこで描いた政策立案遂行思うよう進められず、何もできなままに時を浪費することとなった。彼は忍耐しながらもハリエット・ハワード(英語版)や女優ラシェル・フェリックス、シャセリオーのモデル愛人だったアリス・オジー(フランス語版)との関係を楽しみつつ、機会訪れるのを待った政権発足から半年過ぎた1849年5月13日総選挙英語版)が実施される。このときの総選挙では保守派秩序党大勝705議席450議席制して第一党躍進した。また、ルドリュ・ロランら率い山岳党(1849)(英語版)は180議席へと議席増やすことに成功した。しかし、カヴェニャック率い穏健共和派英語版)は75議席へと転落した山岳党議席伸長させたことは秩序党にとっては勝利を打ち消すほどの苦々しいものであった

※この「大統領就任と首相指名」の解説は、「フランス第二共和政」の解説の一部です。
「大統領就任と首相指名」を含む「フランス第二共和政」の記事については、「フランス第二共和政」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大統領就任と首相指名」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大統領就任と首相指名」の関連用語

大統領就任と首相指名のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大統領就任と首相指名のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフランス第二共和政 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS