貧困との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 10:02 UTC 版)
「リンドン・ジョンソン」の記事における「貧困との戦い」の解説
1964年1月8日、ジョンソンが自身初めての一般教書演説で「貧困との戦い」(en:War on Poverty)を提唱して、「アメリカの貧困に対して無条件降伏を求める戦争」を宣言した。 同年5月には「偉大な社会」をスローガンに掲げて、次々と国内の改革計画を打ち出した。経済機会局を設けて社会保障や福祉保険の拡大をめざした「経済機会法」、老人医療無料化を図った「医療法」、教育援助を謳った「初等・中等教育法」、家賃補助を定めた「住宅法」、これらが1965年に相次いで法整備がされて、低所得者に対する公的扶助として、主に高齢者の医療費を補助するメディケア、低所得者の食費を補助するフードスタンプ、低所得者の幼児の就学を支援するヘッドスタートなどのプログラムが制度化された。 さらに、1965年に「高等教育法」によりすべての高校教育を終えた学生が大学への受験が可能になった他、優秀な学生に対して連邦奨学金と給付奨学金制度が確立された。 この1964年から1965年にかけてジョンソンが連邦議会を動かして行った社会改革は、量においてもその内容においても1933年のルーズベルト大統領の業績に匹敵するほど目覚ましいものであった。アメリカ国民の健康に対する卓越した貢献が認められメアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞を受賞した。ジョンソンが議会操縦にかけては天才的ともいえる能力を発揮し、優秀な議会政治家であったことは間違いないと言われている。
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