貧困な漁港の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 18:37 UTC 版)
「ラブラドール地方」の記事における「貧困な漁港の時代」の解説
南隣のニューファンドランド島同様、ラブラドールへの人類の移住も海での漁業と深く結びついていた。インヌやイヌイットといった民族がラブラドール半島一帯に展開したが、特にインヌは広大な内陸部へも進出していった。16世紀以降のヨーロッパ人の入植はほぼ海岸沿いの入植地に集中した。特にハミルトン湾の南に集中したこれらの入植地は、カナダ本土のヨーロッパ入植地でも最古の部類のものである。レッド・ベイには16世紀からバスク人漁民が捕鯨のためにイベリア半島から往来して定住するようになり、その後はタラ漁などの重要な拠点になった。その活動の遺跡はレッド・ベイ周辺に残っており、「レッド・ベイ国定史跡」として世界遺産にも認定されている。 しかし、海岸沿いに点在する「ファースト・ネーション」(先住民のこと)の村やヨーロッパ人たちの入植地は極めて貧しく、1800年代に医師のサー・ウィルフレッド・グレンフェル(Sir Wilfred Grenfell)が組織した宗教的・医学的援護団体グレンフェル伝道団(Grenfell Mission)が運営していた貨物船や医療船の援助を受けていた。 20世紀を通して、沿岸の集落を結ぶ貨物船・フェリー網は、カナダ中央部と道路で結ばれていないラブラドール地方海岸部にとって、死活的に重要なライフラインとなった。当初これらのフェリー網はニューファンドランド鉄道が整備運営し、後にはカナディアン・ナショナル鉄道、CNマリン(カナディアン・ナショナル鉄道の子会社)を経てマリン・アトランティック社が経営している。
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