父島までの南下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/29 09:53 UTC 版)
6月5日に木更津沖に集結した船団は、訓練を行いながら館山湾に前進した。6日午前5時、船団は館山湾を出発したが、すぐに潜水艦の脅威に晒された。早くも7日午後10時には貨物船杉山丸(山下汽船:4379総トン)がアメリカの潜水艦ホエールの魚雷攻撃を受けて損傷した。日本側も2時間ほど前から敵潜水艦の接近に気付いて対潜攻撃を開始していたが、襲撃を防げなかった。損傷した杉山丸は第18号駆潜艇と特設掃海艇第8昭和丸に付き添われて東京湾に引き返した。続いて、8日に貨物船神鹿丸(栗林商船:2857総トン)が故障を起こし、海防艦天草の護衛で東京湾へ引き返した。ただし、アメリカ海軍公式年表では神鹿丸もホエールが撃破したとしている。 6月8日、門前少将は敵潜水艦複数の追跡を受けているとして基地航空隊に支援を要請したが、これに応じて硫黄島や父島を出撃した航空部隊は、天候不良のため船団直衛を実施できなかった。翌9日午前4時過ぎ、父島東方を航行中のところで旗艦をつとめた駆逐艦の松風がアメリカの潜水艦ソードフィッシュから雷撃された。松風は一瞬にして爆沈してしまい、門前少将以下多数が戦死した。船団は父島に一時退避することにした。 6月10日朝に父島へ入港できた船団に対し横須賀鎮守府は11日、なおもサイパン島へ向かうよう命令した。船団は古賀大佐を新たな指揮官とし、落伍船の護衛に赴いた艦艇も後続の第3609船団とともに到着したため戦列復帰して、態勢を立て直した。ところが同日、目的地サイパン島にアメリカ海軍第58任務部隊が襲来し、大規模な空襲を開始した。これは、サイパン島上陸作戦に向けた事前空襲であった。ここに至って横須賀鎮守府は本船団の運航継続を断念し、13日、本船団は東京湾へ引き返すよう命じられた。父島自体が空襲を受ける危険が高いと思われ、速やかな退避の必要があった。護衛のうち駆潜艇2隻は、サイパンから脱出する途上で壊滅した第4611船団の生存者救助に出動している。
※この「父島までの南下」の解説は、「第3606船団」の解説の一部です。
「父島までの南下」を含む「第3606船団」の記事については、「第3606船団」の概要を参照ください。
- 父島までの南下のページへのリンク