紙幣の概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 23:25 UTC 版)
島を支配していた玉置商店が発行していた引換券は1銭から10円までの6種類であった。そのうえ島内では日本政府発行の硬貨や日本銀行券は一切流通していなかったため、島内の子供も日本の正式な通貨だと思い込んでいたという。玉置商会からすれば島の住民に支払うべき現金を用意する必要が無く、その資金を運用することで大きな利益を上げていたという。 また玉置商店の紙幣は島でしか使えないため、島から出る時は玉置商会の事務所で日本円と交換できるとされていたが、これによって出稼ぎ労働者が勝手に島から逃げ出すのを防ぐ効果もあった。同様の制度はハンセン病療養所の特殊通貨や西表島での炭坑切符(西表炭坑を参照)、さらに東南アジアにあったプランテーション農場の労働者にも適用されており、日本国内における植民地的経営の実例や隔離を目的とした疑似通貨であったといえる。 その後、玉置商会の島における権益は1916年に東洋製糖へ売却され、1927年に東洋製糖が大日本製糖に吸収合併されたが、玉置商店が行っていた引換券の発行は続けられていたとされている。現在は北大東村民俗資料館で2枚、南大東村のふるさと文化センターで1枚が保存されている。なお、これらの引換券が経営企業が変わる際にどのようにして交換されたかや、いつまで流通していたかについては記録に乏しく不明な点が多い。
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