い号券
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 16:47 UTC 版)
い号券(いごうけん)は、日本銀行券(紙幣、お札)の種類の一つ。券種は、い百円券・い十円券・い五円券・い一円券・い十銭券・い五銭券の6種である。
このシリーズから、題号は単に「日本銀行券」となり、不換紙幣として発行されるようになった。ただし、い五円券のみ題号は日本銀行兌換券(金兌換)となっているが、これも事実上の不換紙幣である。
当時の様式符号は、単純に額面金額ごとの発行順(計画されていたが未発行の券種を含む)に符号が付与されていたため、同じ様式符号であっても近い時期の発行とは限らない。
い百円券は乙号券、い十円券は丙号券、い五円券は丁号券、い一円券は改造券の後継として発行され、い百円券・い十円券・い五円券についてはろ号券、い一円券・い十銭券・い五銭券についてはA号券が後継として発行された。
い号券は全券種発行が停止されているが、い一円券のみが現在も法的には有効である。
い号券の一覧
券種 | 表面 | 裏面 | 発行開始日 | 支払停止日・失効日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
い百円券 | ![]() 聖徳太子、法隆寺夢殿 |
![]() 法隆寺西院伽藍全景 |
1944年(昭和19年)3月20日[1] | 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効[2] | 通称は「2次100円」。 新円切替の際、証紙を貼付して新円の代用とする措置が取られ、これは1946年(昭和21年)10月31日限りで失効。 |
い十円券 | ![]() 和気清麻呂 |
![]() 護王神社本殿 |
1943年(昭和18年)12月15日[3] | 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効[2] | 発行当初は記番号黒色で通し番号あり、通称「2次10円」。 1944年(昭和19年)11月20日より記号赤色で通し番号なしのものが発行開始、通称「3次10円」。 透かしの仕様変更により2次10円2タイプ、3次10円3タイプあり。 新円切替の際、証紙を貼付して新円の代用とする措置が取られ、これは1946年(昭和21年)10月31日限りで失効。 |
い五円券 | ![]() 菅原道真、北野天満宮 |
![]() 彩紋 |
1942年(昭和17年)1月6日[4] | 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効[2] | 題号は「日本銀行兌換券」だが、事実上の不換紙幣。 通称は「2次5円」。 |
い一円券 | ![]() 武内宿禰 |
![]() 宇倍神社拝殿 |
1943年(昭和18年)12月15日[5] | 1958年(昭和33年)10月1日支払停止[6] | 通称は「中央武内1円」。 発行当初は通し番号あり。 1944年(昭和19年)11月20日より通し番号なしのものが発行開始。 現在でも法的には有効。 |
い十銭券 | ![]() 八紘一宇塔 |
![]() 彩紋 |
1944年(昭和19年)11月1日[7] | 小額通貨整理法により1953年(昭和28年)末限りで失効[8] | 通称は「八紘一宇10銭」。 |
い五銭券 | ![]() 楠木正成像 |
![]() 彩紋 |
1944年(昭和19年)11月1日[9] | 小額通貨整理法により1953年(昭和28年)末限りで失効[8] | 通称は「楠公5銭」。 |
未発行券種
券種 | 表面 | 裏面 | 発行企画・製造等時期 | 備考 |
---|---|---|---|---|
い千円券 | ※![]() 日本武尊、建部神社本殿 |
※![]() 彩紋 |
1945年(昭和20年)11月製造 | (※画像は流用元の甲千円券) 敗戦を想定して企画され、緊急時の紙幣需要に対応するために製造されたが、余りにも作りが貧弱なため発行中止。 デザインは甲千円券の流用・一部改変。[10] |
い五百円券 | 武内宿禰 |
彩紋 |
1945年(昭和20年)11月 - 1946年(昭和21年)2月製造 | 敗戦を想定して企画され、緊急時の紙幣需要に対応するために製造されたが、余りにも作りが貧弱なため発行中止。[10] |
※を付けた画像は、本来の画像がないため代わりに暫定的に流用元や流用先等の類似の紙幣の画像を用いているものである。
出典
- ^ 1944年(昭和19年)3月18日大蔵省告示第107號「日本銀行券百圓券ノ樣式略圖」
- ^ a b c 1946年(昭和21年)2月17日勅令第84號「日本銀行券預入令」、ならびに1946年(昭和21年)2月17日大蔵省令第13號「日本銀行券預入令施行規則」
- ^ 1943年(昭和18年)12月14日大蔵省告示第558號「日本銀行券拾圓券等ノ樣式略圖」
- ^ 1942年(昭和17年)1月4日大蔵省告示第1號「兌換銀行券五圓券及貳百圓券改造發行」
- ^ 1943年(昭和18年)12月14日大蔵省告示第558號「日本銀行券拾圓券等ノ樣式略圖」
- ^ “現在発行されていないが有効な銀行券 一円券”. 日本銀行. 2025年2月16日閲覧。
- ^ 1944年(昭和19年)10月25日大蔵省告示第489號「日本銀行券ノ種類ニ拾錢券及五錢券追加發行」
- ^ a b 1953年(昭和28年)7月15日法律第60号「 小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」
- ^ 1944年(昭和19年)10月25日大蔵省告示第489號「日本銀行券ノ種類ニ拾錢券及五錢券追加發行」
- ^ a b 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、196-200頁。
い号券
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 15:39 UTC 版)
1943年(昭和18年)12月14日の大蔵省告示第558号「日本銀行券拾圓券等ノ樣式略圖」で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行券 額面 拾圓(10円) 表面 和気清麻呂 裏面 護王神社本殿 印章 〈表面〉総裁之印、発券局長 〈裏面〉なし 銘板 内閣印刷局製造 記番号仕様記番号色 黒色[通し番号あり]/赤色[通し番号なし(組番号のみ)](製造時期により2種類あり) 記番号構成 (製造時期により2種類あり)〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 3桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁 〈記号〉組番号:「{」+数字3桁+「}」 〈番号〉通し番号なし 寸法 縦81mm、横142mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1943年(昭和18年)4月28日 - 1946年(昭和21年)5月29日 記号(組番号)範囲 1 - 480(1記号当たり900,000枚製造) 481 - 542(1記号当たり5,000,000枚製造) 製造枚数 432,000,000枚[通し番号あり] 265,774,000枚[通し番号なし(組番号のみ)] 発行開始日 1943年(昭和18年)12月15日 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日(証紙貼付券に限り1946年(昭和21年)10月31日) 発行終了 失効券 事実上有名無実化していた金本位制が1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行により正式に廃止され、管理通貨制度に移行したことに伴い兌換文言等が表記された兌換券が名実ともに実態にそぐわないものとなったことから、不換紙幣の「日本銀行券」として発行された。時代は第二次世界大戦に突入し、材料や資機材などに至るまであらゆるものが戦争に駆り出された結果、紙幣もコスト削減や製造効率向上を目的に品質を落とさざるを得なくなり仕様が簡素化されている。 表面の意匠は兌換券である丙号券の流用だが、裏面は異なっている。表面の変更点は、題号の「日本銀行券」への変更の他に、兌換文言の削除、発行元銀行名の位置変更、銘板の記載変更、印章を表面に2個(「総裁之印」・「発券局長」)印刷するようにしたことと、地模様の刷色変更だが、その他の図案は丙号券を流用したもので同様の内容である。 裏面には丙号券と同じく護王神社の本殿が描かれているが、裏面の印刷方式を簡易な凸版印刷に変更した影響で丙号券よりも粗く太い画線で描かれている。そのほか、上方には瑞雲、下方には桐、左右には古代鏡型の彩紋、地模様には宝相華があしらわれているが、丙号券の重厚感のあるデザインと比較すると大幅に簡素化されたものとなっている。またアラビア数字による額面表記は存在するものの、これまで裏面に印刷されていた英語表記は削除され、英語表記が全くない券面となっている。 当初は記番号が黒色で印刷されていたが(2次10円)、1944年(昭和19年)11月に記号(組番号)の色が赤色に変更され通し番号が省略された(3次10円)。2次10円の通し番号については基本的に900000までであったが、補刷券と呼ばれる不良券との差し替え用に900001以降の通し番号が印刷されたものが存在する。 発行開始時の透かしは丙号券と同じ「拾圓」の文字と神護寺の古瓦の図柄であったが、1944年(昭和19年)に「日本」と「拾」の文字に変更され、これに合わせて紙幣用紙についても従来の三椏のみを原料とするものから、粗悪な木材パルプを30%混合したものに変更されている。さらに透かしの図柄については度重なる変更が行われ、1945年(昭和20年)に日本銀行行章(ここまで白黒透かし)、そして発行末期は白透かしの桐と3度にわたり変更されている。 い拾圓券の変遷の詳細を下表に示す。前述の通り戦況の悪化に伴い仕様を一段と簡素化する仕様変更が度々行われており、い拾圓券は2次10円2タイプ、3次10円3タイプの合計5タイプに分かれる。 通称発行開始日日本銀行への納入期間組番号範囲記番号仕様透かし2次10円 1943年(昭和18年)12月15日 1943年(昭和18年)4月28日 - 1944年(昭和19年)7月26日 1 - 403 黒色・通し番号あり 「拾圓」・神護寺の古瓦(白黒透かし・定位置) 1944年(昭和19年)8月25日 1944年(昭和19年)7月26日 - 1944年(昭和19年)10月12日 404 - 480 「日本」・「拾」(白黒透かし・不定位置) 3次10円 1944年(昭和19年)11月20日 1944年(昭和19年)10月12日 - 1945年(昭和20年)4月30日 481 - 510 赤色・通し番号なし 1945年(昭和20年)6月11日 1945年(昭和20年)3月29日 - 1946年(昭和21年)5月29日 511 - 530 日本銀行行章(白黒透かし・不定位置) 不明 531 - 542 桐(白透かし・不定位置) 使用色数は、2次10円(通し番号あり)については表面6色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章1色、記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、地模様1色)、3次10円(通し番号なし)については記番号を印章と同色に変更したことにより表面5色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章・記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、地模様1色)となっている。 新円切替のため1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった。新円切替の際、丙号券~ろ号券に証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行された。この証紙貼付券は十分な量の新円の紙幣(A号券)が供給された1946年(昭和21年)10月末限りで失効した。
※この「い号券」の解説は、「十円紙幣」の解説の一部です。
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