ろ百圓券
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1945年(昭和20年)8月17日の大蔵省告示第332号「日本銀行券百圓券及拾圓券ノ樣式ヲ定メ從來ノモノト併用方」で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行券 額面 百圓(100円) 表面 聖徳太子 裏面 法隆寺西院伽藍全景 印章 〈表面〉総裁之印、発券局長 〈裏面〉なし 銘板 大日本帝國印刷局製造 記番号仕様記番号色 赤色[通し番号なし(組番号のみ)] 記番号構成 〈記号〉組番号:数字1 - 3桁 〈番号〉通し番号なし 寸法 縦93mm、横162mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1944年(昭和19年)6月16日 - 1946年(昭和21年)3月18日 記号(組番号)範囲 1 - 43(1記号当たり1,000,000枚製造) 44 - 190(1記号当たり5,000,000枚製造) 製造枚数 43,000,000枚[地模様:2色] 658,114,000枚[地模様:単色] 発行開始日 1945年(昭和20年)8月17日 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日(証紙貼付券に限り1946年(昭和21年)10月31日) 発行終了 失効券 戦局の更なる悪化により敗色が濃厚となった終戦直前に緊急用として印刷方式や紙幣用紙の仕様を従前以上に一層簡素化して製造を開始したものである。このような背景から製造は極秘裏に進められ、発行開始は終戦直後となっている。通称は「3次100円」である。 紙幣用のインク、用紙、印刷機といった資機材が欠乏した状況下で、印刷局の製造能力だけではもはや対応しきれない状況となっていたことから、設備が十分でない民間印刷会社でも製造が行えるよう、高額券でありながら偽造防止のためには欠かせない反面手間のかかる凹版印刷を取り止め、簡易なオフセット印刷で製造することを目的としたものである。実際に、ろ号券の多くは印刷局から委託を受けた民間印刷会社で印刷されている。なお、ろ号券に限らず、第二次世界大戦末期から終戦直後に製造された紙幣は材料の枯渇状態の下で簡易な印刷方法により粗製濫造された結果、画線が潰れて肖像などの主模様の印刷が不鮮明なものや、刷色が一定せず色違いのものが発生するなど品質不良状態の紙幣が見受けられる。 聖徳太子の肖像は表面中央に配置されているが、これはい号券の肖像を流用したものである。後述の通り戦況の悪化した第二次世界大戦末期から終戦直後の混乱期という過酷な状況下において、劣悪な製版設備や印刷機器で製造せざるを得なかった状況から印刷品質に問題があり、特に聖徳太子の肖像は黒く潰れ不鮮明な状態となっている。表面の地模様としては、肖像の周囲には「橘夫人念持仏厨子」の光背、券面の左右には正倉院御物の「花鳥背八角鏡」の背面に描かれている瑞鳥をあしらっている。裏面はい号券と同じ題材の法隆寺の西院伽藍の俯瞰図が描かれているがデザインは新たなものであり、下部中央には法隆寺五重塔の頂上先端の「水煙」と宝相華模様、左右外側には法隆寺の「金銅幡金具」の火炎模様が印刷されている。い号券同様、アラビア数字による額面表記は存在するものの、英語表記はなされていない。なお極めて厳しい情勢の下にありながらも手間をかけて新たなデザインに改められた理由は、ろ百圓券が紙幣として考えられうる凡そ最低水準の仕様とされたことから、凹版印刷を前提とした従来の図柄を踏襲すると品質の低下が目立ち過ぎるためである。 記番号は記号(組番号)のみの表記で通し番号はなく、またその記号(組番号)の外側の波括弧も付けられていない。 透かしはろ拾圓券と共通の唐草模様の白透かしによるちらし透かしであるが、紙質や製作が粗悪なため透かしの確認は困難である。紙幣用紙は粗悪な木材パルプを50%、三椏を30%混合した構成の劣悪な品質のものとなっている。 ろ百圓券の変遷の詳細および組番号の範囲を下表に示す。戦後製造分は戦災により紙幣製造能力が低下した状況において猛烈なインフレーションの発生に伴う極度の紙幣需要増加に対応することが急務であったため、当初2色刷りであった地模様を単色化して刷色を減らすなど更に極限まで仕様が簡素化されている。 発行開始日日本銀行への納入期間組番号範囲刷色1945年(昭和20年)8月17日 1944年(昭和19年)6月16日 - 1945年(昭和20年)8月16日 1 - 43 表面4色(内訳は主模様1色、地模様2色、印章・記番号1色)裏面1色 不明 1945年(昭和20年)8月16日 - 1946年(昭和21年)3月18日 44 - 190 表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)裏面1色 終戦直後に発行されたものの、新円切替のため発行後1年を待たずして1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった。新円切替の際、乙号券~ろ号券に証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行された。この証紙貼付券は十分な量の新円の紙幣(A号券)が供給された1946年(昭和21年)10月末限りで失効した。
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