ろ号作戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:04 UTC 版)
「ブーゲンビル島沖航空戦」の記事における「ろ号作戦後」の解説
11月11日をもってろ号作戦は終了、第一航空戦隊はトラックへ後退した。一航戦が後退した後ラバウルの基地航空部隊には他方面から部隊が転用され、11月14日から17日の間に二八一空の零戦16機、五五二空の九九式艦爆25機、五三一空の天山艦攻12機がそれぞれラバウル、カビエンに進出し、この結果航空兵力は、戦闘機66機、艦爆37機、艦攻22機 陸攻30機 夜間戦闘機2機、水偵15機、陸偵1機 - 2機の約170機となったが、同方面で活動する連合軍航空機の兵力のわずか一割にすぎなかった。一航戦後退後もラバウルの基地航空部隊は米艦船に対する航空作戦を実施、南東方面艦隊司令長官の草鹿任一は11日、「ボ島方面来攻ノ敵ヲ海上二圧倒殲滅スルヲ主眼トシ併セテ敵ノニューブリテン来攻ノ企図ヲ挫折ス」と今後の作戦方針を打ち出した。 一方、11日にラバウルを襲ったシャーマン隊、モンゴメリー隊よりなる米機動部隊は、ガルヴァニック作戦に参加するためギルバート方面へ急行したのだが、12日以降も日本軍偵察機から「空母」発見の報告が相次いだ。当時タロキナ周辺海域には連合軍の輸送船団が頻繁に行き来しており、これらの船団は通常LSTとAPDなどから構成され、LSTの場合、甲板上に構造物が少なく平らであるため見慣れない者には空母に、旧式駆逐艦を改造したAPDは同様に戦闘用艦艇に見誤りやすく、従ってこれらの船団は「機動部隊」と見誤る条件を揃えていた。
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