藤原成房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 10:01 UTC 版)
藤原 成房(ふじわら の なりふさ/なりのぶ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家、権中納言・藤原義懐の三男。官位は従四位上・右近衛権中将。
- ^ 槙野[1992: 15]
- ^ 『尊卑分脈』にある「改-信」は房のよみを信(=のぶ)と記したものか(槙野[1992: 16])
- ^ 『日本紀略』『権記』
- ^ 『権記』長保2年9月8日条
- ^ 槙野[1992: 18]
- ^ 槙野[1992: 19]
- ^ 『権記』長保3年正月7日条
- ^ ただし成房を激励説得したはずの源成信は同年2月3日夜に電撃的に出家。
- ^ 『権記』長保3年3月18日条
- ^ 槙野[1992: 23]
- ^ 『権記』長保4年2月3日条
- ^ 『権記』長徳4年3月20日条
- ^ 『石清水文書』
- ^ 『権記』長保3年10月7日条
- ^ 槙野[1992: 16]
- ^ 『小右記』
- ^ 『長徳二年大間書』
- ^ 『類従符宣抄』第7,改名
- ^ 『小右記』。長徳2年時点で既に任官されたか(槙野[1992: 16])。長徳2年8月から藤原兼隆が右兵衛佐を務めており(『公卿補任』長保四年尻付)、兼隆が少将に任じられた長徳3年正月28日に、成房が後任として右兵衛佐に任じられたと思われる。
- ^ この年10月23日に藤原公信が右兵衛佐に任じられている(『公卿補任』長和二年尻付)。(槙野[1992: 16])
- ^ 『近衛府補任』
- ^ 『拾遺和歌集』巻18
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