乙百圓券とは? わかりやすく解説

乙百圓券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:20 UTC 版)

百円紙幣」の記事における「乙百圓券」の解説

1929年昭和4年12月28日大蔵省告示224号「兌換銀行券百圓改造」で紙幣の様式定められている。主な仕様下記の通り日本銀行兌換券 額面 百圓100円表面 聖徳太子法隆寺夢殿兌換文言 裏面 法隆寺西伽藍全景断切文字 印章表面総裁之印 〈裏面文書局長 銘板 大日本帝國政府内閣印刷局製造 記番号仕様記番号色 黒記番号構成記号〉組番号:「{」+数字1 - 3+「}」 〈番号通し番号数字6 寸法 縦93mm、横162mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1928年昭和3年12月4日 - 1943年昭和18年9月28日 記号(組番号範囲 1 - 94(1記号当たり900,000製造製造枚数 84,600,000 発行開始1930年昭和5年1月11日 通用停止1946年昭和21年3月2日証紙貼付券に限り1946年昭和21年10月31日発行終了 失効関東大震災により滅失した兌換券整理が必要となったことから1927年昭和2年2月兌換銀行券整理法が制定され従来兌換券失効させて新し兌換券交換するため、乙百圓券・丙拾圓券・丁五圓券新たに発行された。 これまで発行され日本銀行券では複数券種に同じ肖像用いられるなどした結果券種間の識別紛らわしくなっていたことなどから、額面ごとに肖像人物固定化することとし、さらに輪郭や地模様透かしに至るまで入念な検討のもとに肖像人物関連性ある図柄が描かれることとなった。 地模様輪郭に至るまで、券面全体聖徳太子や、聖徳太子関わりの深い法隆寺、さらに聖徳太子活躍したとされる飛鳥時代関連する図柄散りばめたデザインであり、数ある歴代日本銀行券中でも特に緻密凝ったデザインとなっている。技術的な面においても、当時紙幣製造の最高技術結集して製造されたものとなっている。 表面右側には唐本御影原画とした笏を持つ聖徳太子肖像描かれている。聖徳太子肖像については、これまでの日本の紙幣掲載され肖像画とは異なり唐本御影描かれ聖徳太子像一般に広く知られていたことから、これを基として立体的な肖像検討し、さらに考古学者高橋健自歴史学者黒板勝美等の考証経て仕上げられ肖像画である。 表面左側には奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺夢殿あしらわれている。左右輪郭法隆寺に伝わる「金銅灌頂幔垂飾金具」の文様に「百」の文字配置したもの、四隅額面数字輪郭飛鳥時代文様である。地模様には正倉院御物の「彩色御手匣」の花模様が、○囲みの「百」の文字連続模様の上重ねて印刷されている。肖像周囲には、法隆寺所蔵している「橘夫人念持仏厨子」の「阿弥陀如来像」の光背にある透かし彫り花型模様聖徳太子肖像取り囲んでいる。 裏面中央には、金堂五重塔中門などが建ち並ぶ法隆寺西院伽藍俯瞰図が、正倉院御物の「八稜鏡」の形状輪郭中に描かれている。なおここに描かれ風景のうち五重塔最上段については、実物では3本の柱区画されているが、紙幣上は現物異なり4本の区画されているように描かれている。風景の上下には「法隆寺若草伽藍軒瓦」の模様を、左右に法隆寺所蔵の「弥勒菩薩像」の「鳳凰文浮彫光背」にある鳳凰像を描いている。裏面右端には「日本銀行」の断切文字印刷されているが、他券種とは異なり花弁模様中に配置されている。これまで記載されていた英語表記兌換文言本券種から廃止され英語表記額面金額のみとなっている。 透かし聖徳太子にゆかりのある図柄が採用されており、聖徳太子勝鬘経御講所用間道の「小幡」の赤地模様正倉院御物の「鳥毛篆書屏風」から採られた鳳凰、および法隆寺文様高山植物組合せた「天平時代の裂の文様」の図柄である。従来券種透かし比較して透かし大型化されている。用紙について従前どおり三椏原料とするものであるが、製法変更により以前よりもやや黄色がかった色調用紙変更されている。また従来百円紙幣寸法大きすぎる傾向にあったため券面寸法縮小し同時に額面紙幣含め一定の縦横比統一した規格揃えている。この券面寸法規格は、小額一部券種除き1946年昭和21年)に発行開始されるA百圓券まで維持されている。 使用色数は、表面5色内訳凹版印刷による主模様・地模様一部1色、地模様2色、印章1色、記番号1色)、裏面4色内訳凹版印刷による主模様2色、地模様1色、印章断切文字1色)となっている。 この聖徳太子の乙百圓券(B案)の発行以前1923年大正12年)に、別のデザイン百円紙幣が乙百圓券(A案)として製造準備されていた。A案の乙百圓券は表面右側藤原鎌足肖像左側談山神社風景描いたもので、用紙には菊・桐図柄透かし染色した蚕糸漉き込んだものであったが、その製造準備途中紙幣未完成原版試刷券、検討資料含め関東大震災影響全て焼失してしまったため発行されなかった。 表面デザイン不換紙幣であるい号券流用されている。またA号券デザインもこれに酷似している。乙号~A号の百円券の肖像聖徳太子で、通称は「1次」~「4次」となっているため、この乙号券通称は「1次100円」である。 1931年昭和6年12月の金兌換停止に伴いそれ以降事実上不換紙幣となり、1942年昭和17年5月日本銀行法施行による金本位制廃止伴って法的に不換紙幣として扱われることになった新円切替のため1946年昭和21年3月2日限り通用停止となった新円切替の際、乙号券ろ号券証紙貼付し臨時新券代わりとした「証紙貼付券」が発行された。この証紙貼付券は十分な量の新円紙幣A号券)が供給され1946年昭和21年10月限り失効した

※この「乙百圓券」の解説は、「百円紙幣」の解説の一部です。
「乙百圓券」を含む「百円紙幣」の記事については、「百円紙幣」の概要を参照ください。

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