『ユダヤ人問題』(1877年)
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「フョードル・ドストエフスキー」の記事における「『ユダヤ人問題』(1877年)」の解説
1877年3月、ドストエフスキーは、無神論者のユダヤ人からの抗議への反論『ユダヤ人問題』を発表した。 「高級なユダヤ人」に属する抗議者は無神論者というが、エホバを放棄するとは罪深く、「神のいないユダヤ人など想像もできない」し、自分はユダヤ人を民族として憎悪したことはない、また自分がユダヤ人を「ジート(ジュー)」と呼ぶことは侮辱ではなく一定の観念であり、言葉に腹を立てるのはよくないとした。また、自分はこれほどの攻撃を招くような反ユダヤ的論文は書いていないし、この抗議者はロシア国民に対して傲慢であり、この告発における激昂こそユダヤ人のロシア人観を鮮やかに物語ると反論した。 そもそもユダヤ人とロシア人が離反している要因は双方に責任があるし、ユダヤ人のように「これほど絶え間なく、歩けば歩いたで、口を開けば開いたで、自分の運命を訴え、自分の屈辱を、自分の苦悩を、自分の受難を嘆いている民族は、世界中を探しても確かに他にはいない」とした。 ユダヤ人は「虐げられ、苦しめられ、侮辱されている」というが信用できないし、ロシアの庶民はユダヤ人以上の重荷を背負っている。それどころか、農奴制から解放されたロシアの庶民に対して「昔からの金貸しの業で」「獲物にとびかかるようにして、真っ先に彼らにとびついたのは誰であったか」、ユダヤ人は「ロシアの力が枯渇しようが知ったことではなく、したいだけのことはやってのけて、いなくなってしまった」と述べた。 ユダヤ人がこれを読むと、中傷・嘘だと主張するだろうが、アメリカ合衆国南部でもユダヤ人は解放された黒人に襲いかかり、金貸し業で彼らを掌握したのだと述べた。 また、ユダヤ人は国家内国家(Status in statu)を長い歴史のなかで守ってきたとして、その理念の本質を「諸民族より出でて、自らの個体を作るがよい。今日からはお前は神のもとに一人であるとわきまえて、他の者たちは根絶やしにするもよし、奴隷にするもよし、搾り取るのも自由である。全世界に対する勝利を信ぜよ。すべてがお前にひざまずくものと信ぜよ。すべてを厳格に嫌悪し、生活においては何びととも交わってはならぬ。たとえ自らの土地を失い、政治的個性を失い、あらゆる民族の間に離散するようなことがあろうとも、変わらず、お前に約束されたすべてのものを、永久に信ぜよ。すべては実現されるものと信ぜよ。しばらくは生き、嫌悪し、団結し、搾取し、待つがよい」と描写した。 こうしてドストエフスキーは、ロシア人はユダヤ人への怨恨などは持っていないが、無慈悲で非礼なユダヤ人はロシア人を軽蔑し、憎んでおり、ユダヤ人はヨーロッパの取引市場や金融界に君臨し、国際政治、内政、道徳までも自由に操作し、「ユダヤ人の完全な王国が近づきつつある」とし、ユダヤ教は全世界を掌握しようとしているというユダヤ陰謀論を展開した。 また、農村共同体がユダヤ人の手に渡れば、農奴制の時代やタタール侵入の時代よりもひどい時代となるとした。 その上でドストエフスキーは、キリスト教の教えに基づき、ユダヤ人の権利拡張に賛成しながら、うぬぼれで傲慢なユダヤ人はロシアに対して寛大であるべきで祖国ロシアのために尽くすべきだ、もしもユダヤ人がロシア人への嫌悪と偏見を捨て去れば、お互いに兄弟愛で結ばれる。しかし、ユダヤ人に友愛的団結を行う能力はあるか、と述べた。 ユダヤ人の上層部はますます強力に、しっかりと人類を支配するようになり、世界に自分たちの傾向と本質を与えようと切望している。 — ドストエフスキー、1877年3月『ユダヤ人問題』
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