ヴァンゼー会議と「ユダヤ人問題の最終的解決」
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「ホロコースト」の記事における「ヴァンゼー会議と「ユダヤ人問題の最終的解決」」の解説
詳細は「ヴァンゼー会議」を参照 ヒムラーや、7月31日に「ドイツのヨーロッパ勢力圏におけるユダヤ人問題全面解決全権」とされた国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒは「ユダヤ人問題の解決」に進展がないといらだちを募らせていた。 1942年1月20日、ベルリンの高級住宅地アム・グローセン・ヴァンゼーにある邸宅(現在ヴァンゼー会議博物館)で、ハイドリヒが主宰する関連省庁の次官級会議が開催された。そこでは「ヨーロッパのユダヤ人問題の最終的解決」について討議された。アイヒマンが作成したとされる議事録によると、会議でヨーロッパに住むユダヤ人1,100万人という数がハイドリヒによって確認され、その「最終的解決」が決定された。占領地域のユダヤ人を東方に送って労働させ、労働不能な者はテレージエンシュタットに送るというものである。これはユダヤ人を労働力として用いる中で、自然的淘汰を行うことを目的とするが、生き残った者はユダヤ人の頑強な核であるため、「相応に取り扱われなければならない」というものである。また、この会議では占領地域のみならず、イタリアなど同盟国や、ポルトガルなど中立国にいるユダヤ人の扱いも討議されている。アイヒマンによって作成された公式議事録には直接殺戮を意味する表現はまったく使われていないが、その他のナチ党関連文書においても使用されている「強制移住」「特別措置」などの語を大量殺戮を意味する隠語と解釈するのが通説である。 しばしばこのヴァンゼー会議がホロコースト決定を行ったと解釈されるが、次官級である彼らには政策を決定する権限はなかった。しかしこの会議はナチス・ドイツにおけるユダヤ人の追放政策が、労働可能なユダヤ人を搾取し、労働不能になった時点で殺害するという労働を通じた絶滅に転換したことを示すものと見られている。また、諸官庁の調整がついたことで、移送や受け入れなどの各措置がスムーズに行われるようになった。1月末、アイヒマンはこの会議こそが「最終的解決」のはじまりだと宣言している。また、3月からは殺害専門の絶滅収容所を設置してユダヤ人を効率的に殺害する「ラインハルト作戦」が始動し、ベウジェツ強制収容所、ソビボル強制収容所、トレブリンカ強制収容所の三つの絶滅収容所が稼働し始めた。
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