ヴァンゼー・プロトコル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 03:59 UTC 版)
「ヴァンゼー会議」の記事における「ヴァンゼー・プロトコル」の解説
会議の公式な議事録(独:Protokoll,プロトコル)では、会議の目的は「最終解決」を実行するために関係省庁の業務を調整することであると述べられている。プロトコルは親衛隊全国指導者であるハインリヒ・ヒムラーの筆頭副官で国家保安本部長官であるラインハルト・ハイドリヒの指示を受けたアドルフ・アイヒマンによって作成された。会議の要約には、ドイツからユダヤ人を排除する方法が国外移住の促進から移送と強制収容と強制労働と計画的殺害に変更されたことが特記されている。 様々な方策(移送、強制収容、強制労働、計画的殺害)の組み合わせがプロトコルに詳述されている。これら方策の組み合わせがナチスのヨーロッパユダヤ人絶滅政策と相互に関連していた。移送はそれだけで終わりというわけではなかった。ドイツや同盟国からユダヤ人を強制的に移送することは単にユダヤ人を排除するのではなく、彼らを強制労働者として利用することであった。 強制労働者は同時に2つの主要目的を満たした。強制労働は特に道路建設のような大規模な社会基盤の整備に当てられたが、同時にそれは奴隷的重労働であった。労働は極度の疲労を伴い、結果として多数の労働者が死亡することが期待されていた。過酷な条件を生き抜いた者は殺されることになっていた。(「最後まで何とか切り抜けた者は、適切な処置を受けなければならない…」)。プロトコルによれば「特別処置」とは「殺害」と同義語であることは明らかである。アイヒマンは後にイスラエルでの裁判でこれを認めた。また、イスラエル政府によってアイヒマンが自白を強要された証拠は発見されていない。会議から一年以内にホロコーストは加速し、ユダヤ人の多くは絶滅収容所に到着すると同時に強制労働者に選別されることなく殺害されることとなった。
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