キリスト教の巡礼
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キリスト教は、当初から殉教者を出したが、その墓所に詣でて敬意を表する信者がいた。これをmartyrium マルティリウムと言う。そうした場所は礼拝の場である教会堂と並び、教会(=キリスト教コミュニティ)にとって重要な場所となった。 4世紀にキリスト教が公認されると、キリスト教発祥の地であるパレスチナ、ことにイエス・キリストの生地であるベツレヘム、受難の地であるエルサレムの遺構に参拝するために信者が旅をするようになった。また各地の殉教者記念堂も巡礼の対象となった。 キリスト教における巡礼は聖地への礼拝だけでなく、巡礼旅の過程も重要視されている。すなわち聖地への旅の過程において、人々は「神との繋がり」を再認識し信仰を強化するのである。ルイス・ブニュエルの映画『銀河』は(en:The Milky Way (1969 film)/fr:La Voie lactée (film, 1969))、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を、「時間と空間を越える神の存在への問いかけの物語」として描いている。 地中海沿岸からヨーロッパ各地に諸聖人の遺骨(聖遺物または不朽体)または十字架、ノアの箱舟の跡などの遺物を祭ったとされる教会、聖堂などが多数あり、そのような地への巡礼が行われた。巡礼は多くの旅人を集めた(『カンタベリー物語』など)。もっとも有名なものには、エレナが発見したとされる十字架の遺物、アルメニア王アブガルス3世enに贈られ、エデッサ(en:Edessa)からコンスタンティノポリスにもたらされた自印聖像(マンドリオン、手で描かれたのではない聖像)、コンスタンティノポリスの聖母マリアの衣、洗礼者ヨハネの首などがある。これらの宝物は中世後期に失われた。また、巡礼者を惹きつけるために他の教会から聖遺物を盗んできたり、偽造するということもあったとされる。また西方では、中世中期からミラノのキリストの聖骸布、聖杯(聖杯伝説や騎士道物語を生み出す元になった)などの伝承が生まれた。 古代後期から、殉教者の遺骨によって奇跡がおき、参拝した巡礼者の中に病気が治癒したり歩けなかった足が動くようになったなどの事例が報告されるようになった。こうした奇跡が起こったということから巡礼者が集まるようになったというものも多い。たとえばピレネー山中のルルドや、カトリックの三大巡礼地の1つサンティアゴ・デ・コンポステーラなどである。麦角病(四肢が壊疽したり、精神錯乱を招く)は「巡礼に赴くことで癒える」とされた こうした巡礼の旅で病に倒れた人、宿を求める人を宿泊させた巡礼教会、その小さなものを「hospice ホスピス」と呼んだが、そこでのもてなしから「hospitality ホスピタリティ(歓待)」の語がうまれ、病人の看護などの仕事をする部門が教会の中に作られるようになって今日の英語でいう「hospital ホスピタル」が派生した。ゆえに「hospital ホスピタル」は、「病院」だけではなく、「老人ホーム」「孤児院」の意味も持つ。またhospiceは、現代では終末期の患者が残りの時を過ごす近代的な「ホスピス」の語源となっている。 カトリック(西方教会)の三大巡礼地 カトリックの三大巡礼地は、ローマのサンピエトロ大聖堂(=聖ペトロが眠る場所)、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(=9世紀に羊飼いが聖ヤコブの墓を見つけとされる場所)、そしてエルサレムともされる。 オルトドクス(正教会、東方教会)の巡礼地 正教会の巡礼地としては、アヤ・ソフィア大聖堂(=かつてのビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル、つまり現在のイスタンブールにある大聖堂)、アトス山(=東方正教の一大中心地)、聖カタリナ修道院(=モーセが十戒を授けられたとされるシナイ山にある修道院)、エルサレムなどが挙げられる。またロシア内、ロシア正教会に限ると、至聖三者聖セルギイ大修道院(=ラドネジの聖セルギイの不朽体のある場所)なども挙げられる。 プロテスタントの巡礼に対する態度 宗教改革後、プロテスタントは、巡礼に対して(も)冷淡な態度をとっている。
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