宗教改革後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/12 02:58 UTC 版)
最後のホーフマイスターであるアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハはルター派に改宗し、1525年にドイツ騎士団国を廃止して俗界諸侯のプロイセン公国を創設した。1561年には傘下のリヴォニア騎士団が有していたコマンドリーであったテッラ・マリアナを喪失した。ただ騎士修道会としてのドイツ騎士団は存続しており、神聖ローマ帝国内(ドイツ王国、イタリア王国)の管轄地域は保持していた。ただし、これは1219年以降ホーフマイスターではなくドイッチュマイスターが治めている領域だった。 これによる制限や混乱を解消するために、現職のドイッチュマイスターであったヴァルター・フォン・クローンベルクが1527年に皇帝カール5世によってホーフマイスターにも任じられ、二つの役職が統合された。本部もフランケンのメルゲントハイムに移った。新たな統合役職ホーフ・ウント・ドイッチュマイスターは神聖ローマ帝国の公と同等とされた。1806年、新設されたヴュルテンベルク王国がメルゲントハイムを併合したため、騎士団の本部はウィーンのドイッチュオルデンスハウス(Deutschordenshaus)に移転した。1923年にオイゲン・フォン・エスターライヒが総長を辞任して以降、ホーフ・ウント・ドイッチュマイスターという二重称号は廃止された。 1696年、総長フランツ・ルートヴィヒ・フォン・デア・プファルツのもとで神聖ローマ帝国軍の中にトイッチュマイスター(Teutschmeister)連隊が設立された。これは1769年に第4歩兵連隊としてウィーンに配属され、1814年からはニーダーエスターライヒのホーフ・ウント・ドイッチュマイスター連隊として知られるようになった。歴史ある軍事集団の伝統は1938年のアンシュルスの際に一旦ナチス・ドイツのドイツ国防軍第44歩兵師団が継承し、現在ではオーストリア陸軍の第1猟兵大隊に受け継がれている。
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