メルローズ修道院と宗教改革後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/15 16:33 UTC 版)
「メルローズ修道院」の記事における「メルローズ修道院と宗教改革後」の解説
修道院には修道院長や高位の聖職者を除いて、100人の修道士が所属していた。60人は宗教改革時にカトリックを放棄したといわれる。1542年の記録によれば、施しの分を含めた修道院の収入と蓄えには多額の現金の他、大麦、小麦などの穀物類、家禽類、バター、酒類などが含まれていた。これらは宗教改革期の1561年に放棄され、王家または貴族の手に渡った。その大部分はバクルー公に接収された。 スコットランド王ジェームズ5世の私生児でメルローズの最後の修道院長ジェームズ・スチュアートは1559年にこの世を去り、また最後の修道士は1590年に亡くなった。1610年には修道院の一部が近隣教区の教会に改造され、建物の十字型中心部にあった元の波模様のアーチは簡素なアーチで覆われた。 その後、イングランド内戦時にオリバー・クロムウェルの軍勢が撃ち込んだ大砲の砲弾が、修道院の受けた最後の攻撃となった。この砲弾による傷跡は、今も修道院の壁に刻まれたままである。 改造された教会は、1810年に別の教会が町に新築されるまで使用された。
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