キリスト教の家族観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
ウィキソースに創世記(口語訳)の原文があります。 家庭を伝道および信仰生活の単位として重視したイエス・キリストにおいては、婚姻関係は親子関係から独立して、社会の一個の新しい基本単位を為すとされた。 「 創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた…人はその父母を離れ…ふたりの者は一体となるべきである。…だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない…モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、始めからそうではなかった。 …不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである。 」 —マタイによる福音書 19章4-9節 「不品行のゆえ」は文語訳聖書では「淫行のゆえ」。妻の姦通による離婚を例外的に認めたこの文言は、カトリック神学者により後世の挿入だと主張され、別居および教皇の婚姻無効の宣言のみ認められて、不正の温床になった。新共同訳では「不法な結婚でもないのに」、聖書協会共同訳聖書では削除。 キリスト教の家族観を確立したのは、性的衝動の克服を目指した聖アウグスティヌスであった。男を惑わせ道を誤らせる「女は罪深きもの」、婚姻は「必要なる悪」だから、肉体と不純を浄化するため教会の秘蹟が不可欠と考えられ、世俗的な事実婚を否定して、法定手続を婚姻の成立要件とする方式主義(要式主義)が確立。加えて、使徒パウロの言にも重きが置かれた。 「 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。 」 —コリントの信徒への手紙一 11章9節 「 妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。 」 —エフェソの信徒への手紙 5章22節 このようにキリスト教社会は男性優位だったから、西洋法で女性の権利は何らかの形で制限されていた。 夫婦は一体となる、婦が消えて夫だけとなる。 — イギリス普通法の法諺 前述のホッブズは自然状態における母権論を提唱したが、父権を当然視する17世紀のキリスト教社会に受け入れられなかった。
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