コンプトン‐こうか〔‐カウクワ〕【コンプトン効果】
コンプトン効果
コンプトン効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/25 03:06 UTC 版)

コンプトン効果(コンプトンこうか、英: Compton effect)とは、X線を物体に照射したとき、散乱X線の波長が入射X線の波長より長くなる現象である。これは電子によるX線の非弾性散乱によって起こる現象であり、X線(電磁波)が粒子性をもつこと、つまり光子として振る舞うことを示す。また、コンプトン効果の生じる散乱をコンプトン散乱(コンプトンさんらん、英: Compton scattering)と呼ぶ。
光の粒子性との関係
コンプトン効果は電磁波の粒子性の根拠として説明されることがある。これについて、電子を量子論に則って扱うかぎりは、電磁波を古典的波動として扱ってもコンプトン散乱を説明できるとする指摘がある[1]。コンプトン自身も波動性による現象説明を示している。[1]
歴史
- 1900年 - マックス・プランクが、光のエネルギーは従来の古典力学で説明のつく様な連続的な物理量とは違い、プランク定数と振動数を掛け合わせた数値の整数倍の値しか取ることが出来ず、光は量子化されているとするエネルギー量子仮説を提唱し、黒体輻射に関するエネルギー分布の説明に成功した[2][3][4]。
- 1905年 - アルベルト・アインシュタインがプランクの提唱した「エネルギー量子仮説」を拡張し、光はプランク定数と振動数を掛け合わせたエネルギーを持つ粒子(光量子)の集合体であるとする光量子仮説を提唱し、光電効果の原理の説明に成功した[5]。
- 1917年 - アインシュタインは、更に光量子の運動量がエネルギーを光速cで割った量であると結論付け、ドイツの科学誌に論文を投稿し掲載された[6]。
- 1922年 - アーサー・コンプトンは自身の実験によって光量子仮説を確かな物にしたとして、12月1日から翌2日にかけてシカゴで行われた物理学会で発表を行った。この議論の様子は議事録として記録され後に翌1923年2月1日号のアメリカの科学誌にも掲載された[7]。一方、コンプトンは自身の研究の詳細を12月13日付で執筆した論文にまとめ上げ、翌1923年5月1日号の科学誌に投稿し掲載された[8]。
- 1923年 - ピーター・デバイもこの電子とX線の衝突に関心を持ち独自に研究を行っていた。彼は前述のコンプトンの論文に不足していた理論を3月14日付で執筆した論文にまとめ上げ、4月15日号のドイツの科学誌に投稿し掲載された[9]。コンプトンはそのデバイの論文を参照しながら自身の論文を推敲して5月9日付で執筆した論文にまとめ上げ、11月1日号のアメリカの科学誌に再投稿し掲載されて[10]、理論の完成に至った。この理論の完成に対するコンプトンによる研究結果の寄与が大きかった事と、デバイの意向と言う2つの要因によって最終的にこの理論は「コンプトン効果」と名付けられた。
- 1927年 - コンプトンはその功績によりノーベル物理学賞を受賞した[11]。
尚、ここで言うアメリカの科学誌とは"Physical Review Series Ⅱ"を指し、ドイツの科学誌とは"Physikalische Zeitschrift"を指しているが、1900年と1905年のものは"Annalen der Physik"を指している。
コンプトンの実験

コンプトンはX線の散乱の際に、波長が変化することを調べるために次のような実験を行った。
初めに、モリブデンの対陰極を持つX線管からX線を生成し、次に生成されたX線を石墨片へ入射させた。そして散乱された輻射を、いくつかのスリットに通した後、分光器の役割を果たす単結晶として方解石[12]へ入射させ、ブラッグ反射の原理を利用して、分光および波長の測定を行なった。最後に、検出器である電離箱を用いて各波長の強度を測定し、続けて散乱角を変化させて45°と90°、135°について測定した。さらに石墨片以外の物質(銅や銀など)を散乱体に用いて、それぞれ同一角における各波長の強度の違いを調べた。
実験の結果、以下の事実が明らかになった。
- 波長のずれの大きさは散乱角に依存し、散乱体の材質によらない。
- 散乱体の原子番号が増すと、波長のずれなかったX線の強度は増大し、波長のずれたX線の強度は減少する。
この原因は、クーロン力により説明がつく。電荷が大きい原子核(原子番号が大きい)との距離が近い電子は、クーロン力により原子核から大きな束縛を受ける。その結果、この電子は原子核と一体になって、衝突に参加する。従って運動量の保存則から光子は、自身のエネルギー及び運動量を伝達できない。よって波長の変化が起きず、コンプトン効果は生じない。
現象の解説
関係式
波長 λ の入射X線に対して、散乱角 φ で散乱された散乱X線の波長 λ' とすると、波長の変化は次のように関係づけられる。
コンプトン効果
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「アーサー・コンプトン」の記事における「コンプトン効果」の解説
詳細は「コンプトン効果」を参照 アメリカに戻ると、1920年にセントルイス・ワシントン大学の物理学のWayman Crow教授職および物理学科長に任命された。1922年、自由電子により散乱されたX線量子がより長い波長を持ち、プランクの関係式に従うと入射X線よりもエネルギーが少なく、余ったエネルギーが電子に伝達されることを発見した。「コンプトン効果」もしくは「コンプトン散乱」として知られるこの発見は、電磁放射の粒子としての概念を実証した。 1923年、Physical Reviewで粒子のような運動量を光子に帰すことによりX線シフトを説明する論文を発表した。これはアインシュタインが1905年のノーベル賞を受賞した際に光電効果を説明するために呼び起こしたものである。これらは1900年にマックス・プランクにより最初に仮定され、光の周波数のみに依存する特定の量のエネルギーを含むことにより「量子化」された光の要素を概念化した。この論文において、それぞれの散乱されたX線光子が1つの電子のみと相互作用すると仮定して、波長のシフトとX線の散乱角の数学的な関係を導出した。この論文は導出した関係を検証する実験について報告することで締めくくっている λ ′ − λ = h m e c ( 1 − cos θ ) {\displaystyle \lambda '-\lambda ={\frac {h}{m_{e}c}}(1-\cos {\theta })} ここで λ {\displaystyle \lambda } は最初の波長 λ ′ {\displaystyle \lambda '} は散乱後の波長 h {\displaystyle h} はプランク定数 m e {\displaystyle m_{e}} は電子の静止質量 c {\displaystyle c} は光速 θ {\displaystyle \theta } は散乱角 量h⁄mecは電子のコンプトン波長として知られており、その値は2.43×10−12 mである。波長シフトλ′ − λは0(θ = 0°の場合)の電子のコンプトン波長の2倍(θ = 180°の場合)の間にある。コンプトンはX線の中に大きな角度で散乱しているにもかかわらず波長シフトを経験しないものがあることを発見した。これらの場合、光子は電子を放出しなかった。よってシフトの大きさは電子のコンプトン波長ではなく原子全体のコンプトン波長に関係しており、1万倍以上小さい場合がある。 コンプトンは後にこう回想している「1923年にアメリカ物理学会の会議で結果を発表したとき、これまで知るうちで最も激しく争われた科学論争が始まった」。光の波動性は十分実証されており、二重の性質を持つことができるという考えは簡単には受け入れられなかった。特に結晶格子の回折は波動性に言及してのみ説明できるといわれていた。1927年にコンプトンはノーベル物理学賞を受賞した。コンプトンとAlfred W. Simonは個々の散乱X線光子と反跳電子を同じ瞬間に観測する方法を開発した。ドイツでは、ヴァルター・ボーテとハンス・ガイガーが独立に同様の方法を開発していた。
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